2010年6月30日水曜日

2010年6月25日金曜日

2010年6月24日木曜日

世界遺産 薬師寺

2010年6月23日水曜日

三嶋大社



031.三嶋大社
031.三嶋大社 posted by (C)HBの旅人


---三嶋大社HPより---
大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえ ことしろぬしのかみ)、御二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬 をうけます。



御由緒
御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考え られ、平安時代中期「延喜の制」では、名神大に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。

中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深 く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の 奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。

頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆 国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。

その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の 文化的価値の高さも再認識されています。
http://www.mishimataisha.or.jp/index.htm 


金木犀 
樹齢は1200年を越えるらしいです。ご神木なのでしょうか。 


静岡県神社庁HPより




いま、ふたたびの奈良へ 春 奈良飛鳥編

2010年6月21日月曜日

2010年6月20日日曜日

そうだ、京都行こう。 夏 詩仙堂編



詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。

詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) という。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。 丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた。

2010年6月19日土曜日

そうだ、京都行こう。 春 上賀茂神社編

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)




---Wiki---
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、瀬戸内海の大三島に位置する神社。 所在地は愛媛県今治市大三島町宮浦。大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。国宝8 件、国の重要文化財75件(2008年現在)を有し、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。 皇室か らも厚く信奉されており、境内には昭和天皇の研究を展示した海事博物館が併設されている。

山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や 武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4 割がこの神社に集まっている。

重要文化財 

(建造物)
  • 本殿(宝殿) 1棟
  • 拝殿 1棟
  • 宝篋印塔 3基
(彫刻)
  • 木造御神像 17躯

    • 大山祇命(おおやまつみのみこと)坐像
    • 中山祇命(なかやまつみのみこと)坐像
    • 麓山祇命(はやまつみのみこと)坐像
    • 正鹿山祇命(まさかやまつみのみこと)坐像
    • しぎ山祇命(しぎやまつみのみこと)坐像(「しぎ」の漢字は篇の上部が「今」、下部が「酉」、旁が「隹」)
    • 磐裂命(いわさくのみこと)坐像
    • 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)坐像
    • 磐長姫命(いわながひめのみこと)坐像
    • 木之花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)坐像
    • 大禍津日神(おおまがつひのかみ)坐像
    • 猿田彦命(さるたひこのみこと)坐像
    • 闇龗命(くらおかみのみこと)坐像(「おかみ」の漢字は「雨冠」の下に「口」を3つ横に並べ、その下に「龍」)
    • 大直日神(おおなおびのかみ)坐像
    • 火須勢理命(ほすせりのみこと)坐像
    • 日子火々出見命(ひこほほでみのみこと)坐像
    • 大直日神坐像
    • 大雷神(おおいかづちのかみ)坐像
  • 木造女神坐像 4躯
  • 木造守門神立像 4躯
大山祇神社
大山祇神社 posted by (C)プレティオ

神紋  折敷に波三文字
本殿には神宝の「鏡」と「矛」が秘蔵され、
境内中央には樹齢約2,600年の神木である
大楠が鎮座している。

神事
一角相撲(旧5月5日 御田植祭、旧9月9日 祓穂祭) 

境内社
上津社
下津社
姫子邑神社
酒殿
八重垣神社
御鉾神社
葛城神社
祓殿神社
伊予国総社
十七神社
宇迦神社
馬神社
祖霊社
八坂神社
五穀神社
阿奈波神社
御子宮神社
厳島神社
轟神社
天神社

    2010年6月18日金曜日

    2010年6月17日木曜日

    五行の舞 野木神社



    仁徳天皇の時代、奈良別王が下野国造として下毛野国に赴任したとき、莵道稚郎子命の遺骸を奉じて当地に祀ったのに始まると伝える。その後、延暦年間(平安時代)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地に社殿を造営し遷座した。弘安年間(鎌倉時代)に配祭の五神が祀られた。

    境内には、田村麻呂の手植えと伝えられるイチョウの木(推定樹齢1200年)が現存する。出産した女性が、乳の出が良くなるようにと願って、白布に米ぬかを入れて乳房を模したものをこのイチョウに奉納するという民間信仰がある。

    五行の舞
    太々神楽(だいだいかぐら)とは、野木神社の例祭に奉納される神楽のことで、町の無形文化財に指定されています。
    12座あった舞のうち、翁の舞や天狗の舞など、11座のみが伝えられていました。しかし、100年ほど前から行なわれていなかった五行の舞が、小山市の神社で行なわれているものを基に、平成11年に復活奉納されるようになり、本来の12座が復活しました。
    舞子は地元の小学生の女の子で、白い上衣に赤の袴、上に千早という被布を着て、頭には金に輝く冠をのせ、右手に幣束、左手に鈴を持ち、舞い踊ります。五行の舞の五行とは、5人の神をあらわしているといわれています。 野木町HPより

    2010年6月16日水曜日

    高千穂 神楽 【4】



    14番・山森で、夜神楽の前に贄にした猪の象徴である、獅子を伴う山神が出た後は、能面をつけた舞いになる。15番・袖花・16番・本花で、天鈿女命が登場。赤い長布をスカーフにように頭に巻いて髪の毛に模し、白衣を着た女面である。これは、20番の御神体でのイザナギ・イザナミ二神による酒造りの舞の、酔ったイザナミのオカメ顔と全く違い、瓜実顔の美人面である。(住吉の岸うつ波に苔はえて、松は見事にあらわれにけり)

    24番・手力雄が岩戸を探し当てた後、彼の袖の影に隠れて見えない場所にいた25番の舞い手の鈿女が瞬時に入れ替わって舞う。鈿女は、腰を落とさない直立に近い姿勢のまま、小股でゆっくり旋回して女を表現。左手に笹葉に模した木の枝を、剣のつかのように立てて握り、右手に持つ幣をつけた五十鈴で、剣を水平に突き刺す動作を行う。(日向なる逢初川のはたにこそ、宿世結びの神ぞまします)

    26番・戸取りで手力雄が再登場して岩戸を持ち上げて投げ飛ばし、27番・舞開で岩戸の中にあった太陽と月を象徴する鏡を両手に持って舞う。天照に相当するのは鏡であり。それは神=舞い手としては最後まで登場しない。28番の日の前、天児屋命、猿田彦命、思兼命、天鈿女命が祝福し、29番で大神が登場する。大神はアマテラスでなく、男性の海神、大わだつみの神である。

    夜が明けて、30番・御柴からは、麦わら船のマストを象った外注連の高木の周りを舞い、33番・雲下ろしで神霊が降臨する。(高千穂の天の香具山榊葉を、その日の注連に掛けて舞うらん)

    2010年6月15日火曜日

    高千穂 神楽 【3】



    内容は、33番から構成される。1彦舞、2太殿、3神降、4鎮守、5杉登、6地固、7幣神添、8武智、9太刀神添、10弓正護、11沖逢、12岩潜、13地割、14山森、15袖花、16本花、17五穀、18七貴人、19八つ鉢、20御神体、21住吉、22伊勢神楽、23柴引、24手力雄、25鈿女、26戸取、27舞開、28日の前。29大神、30御柴、31注連口、32繰下し、33雲下し。

    1番・猿田彦命から、6番の日本刀で地に置いた扇の日の丸を突き、赤い長布を揺する地固め、7番の幣による祓いの幣神添(ひかんぜ)までを、「淀七番」と呼ぶ。神々が天孫降臨の場を固めて国造りをしたことを表し、ここまでで願成就とされる。(注連(シメ)引けばここも高天の原よ立つ、集まり給え四方の神々)

    8番・武智から13番・地割は、日本刀の剣舞が中心。中国の武当太極拳と同様、片足の脛にもう一方の足の膝をつけ腰を落とした姿勢(歇歩(シュイブー))から高速スピン旋回して斬る動作が多い。腰骨の延長線上に剣を持ち、宮本武蔵の二刀流に似た姿勢で、以後全ての舞に共通して見られる、戸田神影流と呼ばれる。(山は雪、水は氷となり果てて、溶けるかたより立つは白波)

    この男性による剣舞部分は面をつけず、直面(ひためん)で舞う。ここの部分で、安産祈願の女性の帯を、舞い手の男性がたすきがけにして背中で結び舞う風習がある。この男と女が帯を交換する部分こそが、子孫繁栄を祈願し、天孫との関係を結んでいた古代人の智恵を示すポイントである。(日向なる二上岳のふもとには、乳ケ窟(チチガイワヤ)に子種まします)

    2010年6月14日月曜日

    高千穂 神楽 【2】



    天照大神(あまてらすおおみかみ)が高千穂峡谷の近くに実在する岩窟天岩戸に篭った時、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊った舞に起源を持つと伝えるが、十社大明神(高千穂神社の祭神である三毛入野命)が鬼八を退治した後に、その怨霊の鎮魂のために行う「猪(しし)掛け祭」に端を発するという説もある。なお、猪掛け祭に騎馬遊牧民の文化を窺う説もある。

    昭和53年(1978年)5月22日に重要無形民俗文化財に指定されたが、それより前、同45年6月8日に浅ヶ部部落のものが「高千穂神楽」として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)」とされている。

    2010年6月13日日曜日

    高千穂 神楽 【1】



    高千穂の夜神楽(たかちほのよかぐら)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に伝わる民俗芸能の夜神楽。毎年11月中旬から2月上旬にかけて、町内のおよそ20の部落それぞれで各部落の氏神を民家等に迎えて奉納される他、町内天岩戸神社の「天岩戸夜神楽33番大公開まつり」(11月3日)や高千穂神社の「神話の高千穂夜神楽まつり」(11月22・23日)も行われ、高千穂神社の神楽殿では一年を通じて観光用に代表的な数番を演じている。国の重要無形民俗文化財。

    修験道、陰陽道、仏教、国学、弥生時代の農耕儀礼から縄文時代に遡るような舞まで、日本の文化を織り成すあらゆるものが渾然と共存する様態にあり、日本文化の研究という面で重要な民俗遺産であると考えられている。『古事記』及び申楽(さるがく)の原型を考える時、見過ごせない神事である。

    2010年6月11日金曜日

    シリーズ熊野古道を往く【3】熊野速玉大社の梛の大樹

    美保神社(みほじんじゃ)




    ---Wiki---
    右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。
    (三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の奥様。事代主命
    は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との 間の子供なので義理の母親にあたる)『出雲国風土
    記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が
    美保郷に坐すとの記述が ある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響に
    より事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。


    社紋「三の字」
    「美保」は「三保」とも書くので社紋としている。
    神紋
    事代主神神紋「三巴」三穗津姫命神紋「渦雲」


    美保関地区活性協議会HPより
    「三穂津姫命(みほつひめのみこと)」と事代主神(ことしろぬしのかみ)。二柱のご祭神を祭る本殿
    は、大社造りを左右2棟並立させ、 その間を装束の間でつなぎ、 木階を覆う向拝を 片流れに2棟通しで
    つける という特殊な様式の「美保造り(みほづくり)」と呼ばれるもの。国の重要文化財に指定されて
    います。向かって右手は、農業及び子孫繁栄の 守り神「三穂津姫命(みほつひめのみこと)」が鎮座す
    る左殿。また向かって左手の右殿に鎮座する「事代主神」は、漁業・商業を始め、広く生業の守護神と
    し て敬仰。一般的には「えびすさま」として有名で、この美保神社は、全国各地にあるえびす社3385
    社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広 く敬い親しまれてきました。神社の歴史は古
    く、奈良時代以前にはこの地にあったとされていますが、戦国の世の戦乱ですべてを焼失。現 在の本殿
    は文化10年(1813)の造営で、拝殿は昭和3年に伊藤忠太の設計により建築されました。

    地の御前・沖の御前




    青石畳通り

    2010年6月9日水曜日

    2010年6月8日火曜日

    2010年6月6日日曜日

    雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)



    ご祭神
    磐長姫尊(いわながひめのみこと)

    ---Wikiより---
    創建時期や由緒は不詳。『伊豆国神階帳』に「従四位上・石戸の明神」と記され、また延喜式神名帳に「伊波乃比咩命神社(いわのひめのみことじんじゃ)」と記された神社である、と伝えられるが、決 め手となる史料は見つかっていない。

    『豆州志稿』には「『石戸の明神』とは、海中に浅間門と呼ばれる石門があるため」との記述があり、実際に烏帽子山の南側800mほどの海上にある千貫門(せんがんもん)がこれに相当すると考えられている。 また社伝によると、本殿が台風によって飛ばされて海中に落ちたため、明暦3 年(1657 年)に再建されたという。

    永らく神仏習合で修験者なども多く訪れていたとされるが、明治維新の際の神仏分離によって神社と なり郷社に列せられた。第二次世界大戦後に社格制 度が廃止されて以降は地元の人々の管理に委ねられている。







    ※うつくしい写真がたくさんあるサイトです。心があらわれるようです。






    ご鎮座地
    静岡県賀茂郡松崎町雲見386-2

    流鏑馬神事 寒川神社



    相模川の河口から約7キロ遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がこの辺りまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国府があったと考えられている。名神大社として朝廷の尊崇も厚かった。現在も八方除の守護神として関東一円から参拝者が集まる。

    延喜式神名帳では「相模国高座郡 寒川神社 明神大」と記載され、大社に列している。

    また、行軍中の武田信玄一行が立ち寄ったことでも有名で、信玄はその時、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納した。現在その1つの兜は寒川神社の方徳資料館に展示されている。

    2010年6月5日土曜日

    2010年6月4日金曜日

    大室山浅間神社(おおむろやませんげんじんじゃ)


    美しい円錐の山です。

    ご祭神
    磐長姫命(いわながひめのみこと)
    ---Wikiより---
    創建時期や由緒は明らかでない。全国各地におよそ2000社あるといわれる浅間神社の中でも珍しい、
    祭神を磐長姫命(いわながひめのみこと)のみとする神社で ある。その妹である木花開耶姫命(こ
    のはなさくやひめのみこと)や父である大山祇神(おおやまつみのみこと)を祀る富士山、および
    富士山本宮浅間大社と対を成すものとする説もある。

    社伝では「磐長姫命が、父の計らいで妹と共に天孫である瓊々杵命(ににぎのみこと)に嫁いだが、
    彼女が瓊々杵命の子を身籠ったものの大山祇神の許へ返されてしまったため、当所に産殿を設けて
    無事に出産した」とされている。日本神話として日本書紀や古事記などに同様の記述がみられるが、
    彼女が身籠ったことや産殿の場所については言及がない。

    磐長姫命が岩のような永続性を表す神であることから不老長寿や安産、さらには海上安全や家内安
    全、学問や縁結び の神としても知られている。










    戸隠神社・中社 樹齢700年の御神木 



    祭神
        天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)

    由緒・ご神徳
    素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。学業成就・商売繁盛・開運・家内安全に御神徳があります。社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」があります。
     また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社の社務所が置かれています。

    2010年6月3日木曜日

    戸隠神社・奥社



    祭神
        天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
    由緒・ご神徳
    日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。戸隠神社の御本社として全国に開運、心願成就、五穀豊熟などの御神徳が広宣され多くの崇敬者が登拝されます。参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。

    2010年6月2日水曜日

    戸隠神社・中社



    祭神
        天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)

    由緒・ご神徳
    素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。学業成就・商売繁盛・開運・家内安全に御神徳があります。社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」があります。

    また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社の社務所が置かれています。

    2010年6月1日火曜日

    大山祇神社抜穂祭 一人相撲二番・三番勝負



    毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)において、大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で行われる相撲神事である。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つ。「すもう」は一般に「相撲」の字を当てるが、ここでは、相撲を含めた広義の力くらべである「角力」の文字を用いて一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。

    この神事については「三島大祝安積の松山寺社奉行所差出書」(宝永4年(1707年))に5月5日・9月9日に相撲を取らせたとあり、また大三島の瀬戸地区(現 今治市上浦町南東部)の向雲寺住職慈峯が享保20年(1735年)に「端午(5月5日)神事の節於宮浦邑の斎事有其内瀬戸の独り相撲と名乗る儀式あり役人は甘崎(瀬戸に隣接する地区)より出候得共瀬戸と名乗る」と記しており、古くからの神事であったことが察せられる。(貞治3年(1364年)の書物にも相撲奉納の記録が残る。)

    春の御田植祭の時には、お田植神事の前に、そして秋の抜穂祭の時には、抜穂神事の後に行われており、稲の精霊が勝つことによって、春には豊作が約束され、秋には収穫を感謝するという神事である。全国的にも珍しく、昭和39年(1964年)に愛媛県の無形文化財の指定を受け、昭和52年(1977年)に県の無形民俗文化財に指定替えになる。

    記録によると江戸時代は現在の今治市上浦町瀬戸の力士によって行われ、一番勝負であったとされる。また、明治以降の力士として、堀田金八、藤原岸蔵、藤原初治、越智直治、松岡栄太郎、藤原忠八、元岡敬、藤原荒市などの氏名が記されており、いずれも10年20年と奉仕してきたようである。また、現在使われている「一力山」という四股名は藤原百千氏の命名による。

    昭和59年(1984年)を機に途切れていた一人角力は、大三島中学校教諭 越智秀雄のはたらきかけにより、平成2年の愛媛県地域生活文化研究発表会で大三島中学校生徒により披露されることとなり、以後同中学校において伝承文化発表会で毎年熱演されている。平成6年~10年の間には、大三島中学校生徒会 会長・副会長による一人角力が実際の御田植祭と抜穂祭でも奉納された。現在、しまなみ海道開通(平成11年)を契機として、地元の若者の中から菅貞之(力士)・多和祥栄(行司)の2人により成人の一人角力復活がなされている。

    古の百景: 大山祇神社抜穂祭 てっせん