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2012年1月19日木曜日

太子祭

http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/north/otawara/news/20120110/696634


清く荘厳な別天地に鎮まる大田原の総鎮守
大田原の歴史と文化発祥の大田原神社は、市の中心を流れる蛇尾川の辺、大田原城跡と並ぶ龍体山々上の清く静かな別天地の鎮座する。
緩やかな石段を登りつめ、見下ろせば大田原の町並みが一望に見渡せる。
鳥居をくぐり参道奥へと額ずけば、そこは霊気漂う樹齢百年以上もの杉の古木が生い茂り、その木立に響き渡る小鳥たちの爽やかな囀りで、参拝する人たちを優しく迎えいれてくれる。 栃木県神社庁 http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=708

室町時代の終わり頃から、太子の忌日と言われる2月22日 (旧暦)を「太子講」の日と定め、大工や木工職人の間で講が行なわれるようになった。これは、四天王寺や法隆寺などの巨大建築に太子が関わり諸職を定めたという説から、建築、木工の守護神として崇拝されたことが発端である。さらに江戸時代には大工らの他に左官や桶職人、鍛冶職人など、様々な職種の職人集団により太子講は盛んに営まれるようになった。なお、聖徳太子を本尊として行われる法会は「太子会」と称される。

2010年12月4日土曜日

2010年6月17日木曜日

五行の舞 野木神社



仁徳天皇の時代、奈良別王が下野国造として下毛野国に赴任したとき、莵道稚郎子命の遺骸を奉じて当地に祀ったのに始まると伝える。その後、延暦年間(平安時代)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地に社殿を造営し遷座した。弘安年間(鎌倉時代)に配祭の五神が祀られた。

境内には、田村麻呂の手植えと伝えられるイチョウの木(推定樹齢1200年)が現存する。出産した女性が、乳の出が良くなるようにと願って、白布に米ぬかを入れて乳房を模したものをこのイチョウに奉納するという民間信仰がある。

五行の舞
太々神楽(だいだいかぐら)とは、野木神社の例祭に奉納される神楽のことで、町の無形文化財に指定されています。
12座あった舞のうち、翁の舞や天狗の舞など、11座のみが伝えられていました。しかし、100年ほど前から行なわれていなかった五行の舞が、小山市の神社で行なわれているものを基に、平成11年に復活奉納されるようになり、本来の12座が復活しました。
舞子は地元の小学生の女の子で、白い上衣に赤の袴、上に千早という被布を着て、頭には金に輝く冠をのせ、右手に幣束、左手に鈴を持ち、舞い踊ります。五行の舞の五行とは、5人の神をあらわしているといわれています。 野木町HPより