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2012年8月11日土曜日

穴太積み

http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000001208010003
朝日新聞デジタル:「穴太積み」の技 国認定-マイタウン滋賀 via kwout

 穴太衆(あのうしゅう)は、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団である。石工衆(いしくしゅう)、石垣職人(いしがきしょくにん)とも称す。「穴太」の歴史的仮名遣での読み仮名は「あなふ」である。

穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた。彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い。

じぷと現代でも、坂本の町に多数立ち並ぶ「里坊(さとぼう)」と呼ばれる延暦寺の末端の寺院群は、彼らの組んだ石垣で囲まれ、町並みに特徴を与えている

 後藤家

石垣職人としての後藤家の始まりは、後藤基次が加藤清正からしばしば伝授を受けてきた事により、『城石垣始秘伝抄』の「城取りの石垣の事」においてうかがえる。しかし、又兵衛は大坂夏の陣において討死にする事となる。夏の陣の前に又兵衛は腹違いの弟である彦八(後の初代後藤杢兵衛)に対し、自分の最後が近づいたのを悟り、これまで学んだ成果を『石垣根元抄』として、元和元年(1615年)4月に伝授する事となる。この書は、「元和8年(1622年)以来家宝とし、一子相伝の他これを許さずのもの也」として、以後、後藤家最大の財産となる。後藤家が関わった石垣として、加賀藩金沢城がある。


粟田家

現在も穴太の技術を継承しており、株式会社粟田建設として、十三代目から始まり、今は十五代目が活動を行っている。

北垣聡一郎の『近江の石垣築成者 穴太衆』(1976年)によれば、粟田氏の話として、「先祖は阿波国から来た」と語っていたとしている。

2010年8月13日金曜日

2010年8月10日火曜日

琵琶湖花火大会

2010年7月22日木曜日

2010年7月21日水曜日

日本の世界遺産・京都・延暦寺横川・西塔


横川
西塔から北へ4キロほどのところにある。嘉祥3年(850年)、慈覚大師円仁が建立した首楞厳院(しゅりょうごんいん)が発祥である。

横川中堂 - 新西国三十三箇所観音霊場第18番札所。旧堂は1942年、落雷で焼失し、現在の堂は1971年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。本尊は聖観音立像(重文)。
根本如法塔 - 多宝塔で、現在の建物は大正期の再建。円仁が法華経を写経し納めた塔が始まりである。
元三大師堂 - 四季に法華経の論議を行うことから四季講堂とも呼ばれる。おみくじ発祥の地である。
恵心院



西塔
転法輪堂(重文) - 西塔の中心堂宇で、釈迦堂ともいう。信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)、当時の園城寺金堂(1347年の建立)を豊臣秀吉が無理やり移築させたものである。本尊は釈迦如来立像(重文)。
常行堂・法華堂(重文) - 2棟の全く同形の堂が左右に並んでいる。向かって右が普賢菩薩を本尊とする法華堂、左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂で、文禄4年(1595年)の建築である。2つの堂の間に渡り廊下を配した全体の形が天秤棒に似ているところから「担い堂」の称がある。
瑠璃堂(重文) - 西塔地区から黒谷(後述)へ行く途中にある。信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂といわれる。様式上、室町時代の建築である。
黒谷青龍寺 - 西塔地区から1.5キロほど離れた黒谷にあり、法然が修行した場所として有名である。

2010年3月22日月曜日

日吉大社 いろいろPHOTO

宇佐宮
ご祭神:田心姫命
本殿 国重要文化財
慶長3年(1598)建立
日吉造
拝殿 国重要文化財
慶長3年(1598)建立
入母屋造 檜皮葺

牛尾宮(牛尾神社) 三宮宮(三宮神社)
牛尾宮は文禄4年(1595)、三宮宮は慶長4年(1599)に建てられました。


牛尾宮
ご祭神:大山咋神荒魂
本殿は三間社流造。拝殿は懸造(舞台造)
文禄四年(1595)に建立
国指定重要文化財。

三宮宮
ご祭神:鴨玉依姫神荒魂
本殿は三間社流造。拝殿は懸造(舞台造)
慶長四年(1599)に建立
国指定重要文化財。



2010年3月21日日曜日

日吉大社 西本宮

滋賀県 日吉大社
滋賀県 日吉大社 posted by (C)不比等


西本宮
祭神:大己貴神

ご由緒
天智天皇7年に、大和国大三輪神を勧進。その後、神威盛んとなった八幡神を迎えて摂社「宇佐宮」
が建立されました。また、山岳信仰に深い関係もあり、天台宗とも 縁がある白山姫神を迎えて摂社
「白山宮」となった。西本宮の3社と東本宮の4社をあわせて「山王七社」と呼びます。

西本宮本殿 国宝
日吉造、檜皮葺
日吉造は、聖帝造とも呼ばれて、側面背面が特徴的です。東本宮本殿とほぼ同様の造りです。
天正14年(1586)に復興されたものであるが、慶長2年(1597)に改築されています。

西本宮拝殿 国重要文化財
入母屋造、檜皮葺
天正14年(1586)建立
日吉大社同型式拝殿のなかで、もっとも精巧な構造となってます。

西本宮楼門 国重要文化財
天正14年頃(1586)建立
三間一戸楼門形式、入母屋造、檜皮葺、縁付き






日吉大社 東本宮

日吉大社・東本宮
日吉大社・東本宮 posted by (C)bonkura


東本宮
祭神:大山咋神

ご由緒
古事記に「此の神は近淡海国の日吉の山に坐す」とあり、神代期より比叡山に鎮座する地主神
大山咋神をまつった古代祭祀が当社の起源とされる。神体山である牛尾山(小比叡山・八王子
山)の山頂近くには祭祀遺跡ともいうべき磐境(金大巖・こがねのおおいわ)があり、それを
取り巻き「牛尾宮」「三宮宮」がある。
のちに牛尾宮の祭神が山麓に祀られ、これが東本宮となり、三宮宮の祭神が山麓で摂社樹下宮
となった。この山麓二宮の成立は崇神七年とされる。山上には荒魂を祀り、山麓には和魂をま
つる形態。


日吉大社東本宮楼門
東本宮楼門 国重要文化財
天正~文禄期(1573-1593)年建立
三間一戸楼門形式、入母屋造、檜皮葺、縁付き
西本宮楼門と比べると、やや一階部分が高く、二階部分が低い構造です。


2010年2月20日土曜日

山王総本宮 日吉大社(ひよしたいしゃ)

山王総本宮 日吉大社
日吉大社04
日吉大社04 posted by (C)escassy

日吉大社-鳥居の向こうは別世界
日吉大社-鳥居の向こうは別世界 posted by (C)瀬波拓郎

ご由緒と歴史
境内は、比叡山系の最高峰・大比叡峰の東方に位置する八王子山(牛尾山)を含む山麓の13 万坪であり
ます。その大きさは、実に甲子園球場11個分と大変広いのですが、境内の入口が僅か11メートルという
こともあり、初めて訪れる参拝者からは 「こんなに広いとは思いもしなかった」という感想を承ります。


円錐形をした遠望の美しい八王子山は、神代の昔より比叡山の神(大山咋神)が降り立つ神体 山として
崇められ、以後歴史の変遷の中で社殿が築かれ、神輿が奉納され、更には神仏習合といった様々な信仰形
態が取り込まれ、「古代信仰の博物館」とも評 されております。

桓武天皇の御代、都が京都・平安京に遷り、当大社が表鬼門(東北)に当ることから、都の鬼 門除け、
魔除け、災難除け、更には天下泰平、五穀豊穣祈願の社とされ、天皇の行幸がなされるほどとなりまし
た。 (日吉大社HPより)