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2012年8月2日木曜日

潮かけ祭り

http://mainichi.jp/select/news/20120720k0000m040033000c.html
潮かけ祭り:大漁や海の安全祈願 三重・和具漁港- 毎日jp(毎日新聞) via kwout

 “奇 祭”

毎年旧暦の6月1日に和具大島と前浜漁港間を舞台に、荒々しく潮をかけあう海の祭り(奇祭)です。780余年の伝統があり、正式には「大島祭り」(昔は、「じんじん」とも言っていたそうです。)と言い、この潮を受けるとその年は家内安全・無病息災であるといわれています。

2012年5月10日木曜日

こいのぼり作り

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20120426-OYT8T00148.htm

こいのぼり作り追い込み二見興玉神社 : 三重 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout

こいのぼり(鯉幟)とは元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流し[1]とも言う。現在はグレゴリオ暦(新暦)5月5日まで飾られ、夏の季語として用いられる。飾られる季節も変わり、イメージは「晩春の晴天の日の青空にたなびくもの」となった。 但し地方によりひと月遅れのグレゴリオ暦(新暦)6月5日までの地方もある(例 静岡県の西部地区他)。

「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、こいのぼりは「幟(のぼり)」とは名づけられているものの、形状は魚を模した吹流し形である。

そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。

端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。

一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。

さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものである。

ただし、これは主に江戸を含む関東地方の風習で当時の関西(上方)には無い風習であった。天保9年(1838年)の『東都歳時記』には「出世の魚といへる諺により」鯉を幟(のぼり)に飾り付けるのは「東都の風俗なりといへり」とある。

2012年2月19日日曜日

御頭神事

http://www.kirari1000.com/04570picture/04570y_w3%2008_02_11.jpg

高向区 御頭神事(おかしらじんじ) は、昭和28年5月に県無形文化財の指定を受け、さらに昭和52年5月17日文部省指定 国の重要無形民俗文化財に していされました。昨年まで2月11日に行われておりましたが、本年度より2月第2土曜日に行われることになりました。地方の一地区で行われる”まつり” としては、伝統の古いことはもちろんのこと、その規模の大きいことでも県内では例を見ない、年中行事の一つです。”高向”という地名は非常に古く由緒ある 地名で、平安時代にかかれた和名抄という書物などに。すでに出ており、度会郡十郷の一つで”高向郷”といわれたのに由来しております。伊勢神宮をはじめて お建てになった倭姫命(やまとひめのみこと)が御頭神事のことを書いた倭姫命世紀という書物がありますが、その中に出てくる"御船向田国”というのが”高 向"のことであったといわれます

2012年2月5日日曜日

扉開きの神事

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120202/CK2012020202000110.html
中日新聞:「扉開きの神事」成功祈願 尾鷲のヤーヤ祭り開幕告げる:三重(CHUNICHI Web) via kwout


ヤーヤの由来
尾鷲神社祭礼(ヤーヤ祭り)は祭礼期間中毎夜各町の若者衆が、町を練る行事「ヤーヤ」が通称となったもので、この「ヤーヤ」の名称は、戦国時代武士の立合いの名乗り(ヤーヤ我こそは、・・・)に由来するといわれています。

巻藁結神事(1月8日)
祭礼の一ヶ月前に当人の家の床の間に120把を束ねた巻藁の的に矢を放ちこれで神社から当人の家に神が降りたことになります。


扉開きの神事(2月1日)

この儀式は、ヤーヤや手踊りなどの氏子が奉納する祭りの余興を楽しんでもらうために、神にお出ましを願い、神殿の扉を開けるという意味を持っています。


2012年1月25日水曜日

福豆準備

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120121/CK2012012102000105.html?ref=rank
中日新聞:福豆準備に追われる 鈴鹿・椿大神社で最盛期:三重(CHUNICHI Web) via kwout

伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた「猿田彦大神」の御神霊を、 人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相 殿として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。
このように社殿創始は垂仁天皇の御宇でありますが、それ以前、悠久の太古、原始人類に信仰の芽生えを見た時、既に大神の尊崇と本社創建の淵源は存したと言わねばなりません。 即ち神話に伝える「天照大神」「猿田彦大神」の時代であります。
天孫「瓊々杵尊」降臨の際、猿田彦大神、天の八衢に「道別の神」として出迎え、風貌雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峰に御先導申し上 げ、肇国の礎を成したこの大神を、後に倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓に「椿(道別)大神の社」として奉斎することになったの は、まことに神慮によるものと言うべきでしょう。http://www.tsubaki.or.jp/yuisyo/


2012年1月18日水曜日

尾鷲 ハラソ祭り

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120110/CK2012011002000096.html
中日新聞:豊漁願う日、鯨上がる 尾鷲でハラソ祭り:三重(CHUNICHI Web) via kwout

ハラソ祭りについて 「南輪内村誌」 には次の通り書かれています。

旧暦正月十五日は梶賀浦の御祈祷の日である、延命山地蔵寺では曽 根・古江から伴僧を招いて、大般若経の転読法要を営むのである、此の日海岸には、まん幕を張り廻した船が幾十流の幟や吹流を飾立て、へんぽんと春風に翻し ながら浮んでいる、之れが今日鯨船の祭りに使はれるハラソ船である。昔は赤・黄・青・紫・緑の五色の色とりどり、櫻や牡丹さては菊花或は松竹梅など、花鳥 模様を描いた船を使つていたので、大辺優雅なのであつた、御祈祷が済むと伴僧をハラソ船によつて送って行く。

2011年6月8日水曜日

二見興玉神社 藻刈神事







古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草でのお祓いを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持ち行事への参加者は浜参宮を行う。

アマモ(甘藻 )
アマモは古くからもしおぐさ(藻塩草)とも呼ばれたが、この語は海藻・海草類を焼いて塩をつくる「藻塩焼き(もしおやき)」に使われる海藻・海草一般を指したもので、アマモのほか、「名告藻(なのりそ)」とも呼ばれたホンダワラなどをときに含む。
岸辺に打ち上げられた葉の様子から、リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(竜宮の乙姫の元結の切り外し)という別名をもつ。


元結
日本髪の髻(もとどり)を結ぶもの。〈もっとい〉とも。古くは麻糸や組紐(くみひも)を用いたが,江戸初期から元結紙でこよりを作り水糊(みずのり)を塗ったものを用いるようになり,これを文七元結と称した。  百科事典マイペディア





藻刈神事