2010年2月24日水曜日

下鴨神社 賀茂御祖神社 社家 鴨脚家庭園(いちょうけていえん)

鴨脚家庭園(いちょうけていえん)



歴史と由緒
京都市指定登録文化財登録(京都情報館HPより)
鴨脚家(いちょうけ)庭園は賀茂川に架かる葵橋東詰の北部に位置する。近隣は,応仁年間からの記録が残る賀茂御祖(かもみおや)神社の社家町であったが、下鴨本通の開通に伴い数多くの社家が退去したため,鴨脚家は唯一現存する賀茂御祖神社の祝(はふり)※の屋敷である。

庭園は東西に並列する和館 2棟に南面し、形態は全体として歪(いびつ)な方形の擦り鉢といった形態をしており、周囲より一際窪んだ中心部に泉がある。塀際には築山が配され,高さの 異なる石積が築山と和館の際を取り囲むようにして高低差を埋めている。石積みの上面は園路を兼ね、

数個の石段で連絡しており、山道のような雰囲気を醸し出 している。泉の水は鴨川の伏流水による湧水であり、かつて、祝が禊(みそぎ)に用いたと伝えられる。泉の水面は季節ごとに変わる湧水量に応じて上下する。水の供給を湧水という自然の力に頼り、賀茂御祖神社の祝の現存する唯一の屋敷に設けられた庭園として貴重である。※ 祝(はふり):神官


いくつか、説明があるようですが・・
下鴨神社の社家は、昭和16年(1941)の下鴨本通開通に伴い退去したそうです。情報があまり見当たらないようですが、下記などありました。実際にご見学されて、お詳しいようです。 説明資料があるようですね。一度見て見たいものです。



雑感
やはり、きれいな湧き水が沸いて、それを禊に使っていたようですね。文化財として、保存されてるようですから、見学できる機会もあるかもしれませんね。

国立情報学研究所(NII)CiNii(NII論文情報ナビゲータ[サイニィ])
『下鴨社家日記』にみる賀茂伝奏と下鴨社惣代 : 延宝期を中心に



銀杏樹、公孫樹、鴨脚樹、銀杏、白果、鴨脚










一方、江戸幕府を開いた徳川家康は「三つ葉葵」を用いたが、そのいわれは先祖の松平三代信光が「加茂朝臣」を名乗っていることから、加茂神社との関係に基づいたもののようである。しかし、信光の墓には剣銀杏の紋が付けられている。徳川家は清和源氏新田氏の流れとする系図をもっているが、その家紋を見る限り新田氏との関係は見出せない。信光の加茂とは別に、藤原姓を名乗っていたこともある。家康は系図こそ上手にこしらえたようだが、先祖伝来の家紋を変えることまでは憚ったのであろうか。名字と家紋HPより






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