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2012年8月6日月曜日

鴨長明書状

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20120720-OYT8T01657.htm

鴨長明書状を公開 10月から下鴨神社 : 京都 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout


 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。

出家の後、建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。


 『方丈記』の中で長明は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震など、自らが経験した天変地異に関する記述を書き連ねており、歴史史料としても利用されている。
安元の火災

安元3年4月28日(1177年5月27日)午後8時頃、都の東南(現在のJR京都駅付近か)で、舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火した。火はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。公卿の邸宅だけでも16軒、一般家屋に至っては都の3分の1が焼失した。死者は数十人(『平家物語』の記述では数百人)であった。
治承の竜巻

治承4年(1180年)4月、中御門大路と東京極大路の交差点付近(現在の京都市上京区松蔭町、京都市歴史資料館の辺りか)で大きな竜巻(長明は「辻風」と記述)が発生した。風は周囲にあるものをあっという間に飲み込み、家財道具や檜皮、葺板などが、あたかも冬の木の葉のように宙を舞った。風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残された。竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺の手前辺りで消滅したものと思われる。
養和の飢饉

養和年間(1181-82年)2年間にわたって飢饉(養和の飢饉)があり、多くの死者が出た。旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和2年4月・5月の左京だけで、42,300人余に達したという。なお、この飢饉は福原遷都や、源頼朝・源義仲をはじめとする各地での武力蜂起とその追討の影響によって拡大した面があるが、方丈記にはその点は触れられていない。
元暦の地震

元暦2年7月9日(1185年8月6日)、大きな地震が都を襲った(文治京都地震、地震の年表#日本参照)。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は3か月にもわたって続いたという。


http://gagaku.blog.ocn.ne.jp/gagaku/2007/01/post_e2bf.html

2012年7月23日月曜日

御戸代会(みとしろえ)神事

http://www.kamigamojinja.jp/topics/2012/2012_kamomitoshiro.html

■素謡「神歌」井上裕久(翁) 井上裕之真(千歳)

薪能

■素謡「神歌」
井上裕久、浦部幸裕

■仕舞「雲林院(クセ)」
大江又三郎

■狂言「因幡堂」
茂山七五三、茂山逸平

■能「杜若〜恋之舞〜」
井上裕久(シテ)
原大(ワキ)
森田保美(笛)、曽和尚靖(小鼓)、石井保彦(大鼓)、前川光範(太鼓)

2012年5月26日土曜日

三船祭(みふねまつり)

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120520000110

平安の雅、船上に再現 嵐山で三船祭 : 京都新聞 via kwout

三船祭は、昌泰元年(898年)長月21日、宇多上皇が嵐山に御幸の際、大堰川 で御船遊びをしたことが始まりとされています。
その後のたびたびの御船遊びで、詩歌、吟詠、管弦、舞楽など様々な御遊びがあったことにより、昭和3年車折神社では御大典を記念して、「三船祭」が始められました。その後に、例祭の延長神事として、現在のように5月第3日曜日に行われるようになりました。
「三船祭」の名前の由来は、白川天皇が行幸の折に、「和歌」「漢詩」「奏楽」に長じたものを3隻の舟に乗せて御舟遊びをされたといわれていることから「三船」とされています。
現在の「三船祭」では、御座船を先頭に20数隻の船が、嵐山や渡月橋上流で優雅な様をみせてくれます。

 

2012年5月18日金曜日

御香宮神社「献茶祭」

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120428000044

銘水の恵み、神前にささげ 御香宮神社で「献茶祭」 : 京都新聞 via kwout

けんちゃ【献茶】

献茶は抹茶を点(た)てて神仏に供えることであるが,神前を献茶,仏前を供茶(くうちや)と区別されている。したがって献茶は神殿で濃茶(こいちや)・薄茶(うすちや)2碗の茶を点じて供える儀式をいう。ただ茶の湯は本来〈仏に供え人にも施し我ものむ〉(《南方録》)とするのが基本的な思想であるから,献茶は貴人高位に茶を勧める心持ちでなされる。各神社における献茶行事はむしろ明治以降に盛行をみるようになった。それは崇神の表現であるとともに実行者の権威の誇示ともなり,参集した人びとは拝服席で茶を喫する年中行事となった。
http://kotobank.jp/word/%E7%8C%AE%E8%8C%B6