2011年3月26日土曜日

三卯大祭 大神神社


大神神社HPより
http://www.oomiwa.or.jp/
当神社では古く崇神天皇の御代から卯の日がことのほか尊ばれてきました。大田田根子命(おおたたねこのみこと)を大神の神主とし、また高橋邑(たかはしむ ら)の活日(いくひ)を大神の掌酒(さかひと)にしたのが卯の日であり、現在も行われる大神祭を始められたのも「卯」の日でした。本年3月13日(日)は、卯の年・卯の月・卯の日の三卯が十二年に一度重なり、「三卯大祭」が斎行されます。まさに卯の日は大神様のご神威が高まる日であり、最上の吉日といえるでしょう。祭典には五穀豊穣を祈る斎物(いみもの)の「卯杖」が特別にお供えされます。卯杖は古式に則り木瓜、柊、桃、梅、椿、榊の六種の木で調進されます。



「 卯 」 は 扉が開くという意味の象形文字らしく、物事が動き出す・始まる と言う 意味を持つ

どのような字か?郵便切手にありました。
http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2010/h221122_t.html



(1):  金文(きんぶん)の卯(う)
(2):  甲骨文字(こうこつもじ)による辛卯(かのとう)
(3):  六朝風楷書(りくちょうふうかいしょ)による卯(ぼう)
(4):  隷書(れいしょ)をもとにした兎(うさぎ)
(5):  説文(せつもん)による卯(う)
(6):  甲骨文字(こうこつもじ)による兎(うさぎ)
(7):  小篆(しょうてん)による兎(うさぎ)
(8):  ひらがなの「うさぎ」
(9):  辛卯(かのとう)の行書(ぎょうしょ)
(10):  逞(たくま)しい兎(うさぎ)
背景「木賊(とくさ)兎図」(円山 応挙(まるやま おうきょ)筆)


出雲神楽(島根県無形民俗文化財)が出雲国大原神主神楽保存会によって奉納されたようです。
【演目】

 清目
 山神祭
 國譲
 八頭

全国神楽協議会HP
http://www.kagura.gr.jp/kagura/detail.php?id=179
しまね映像ライブラリー
http://movie.pref.shimane.jp/culture/kagura.html








2011年3月23日水曜日

お燈まつり 神倉神社




熊野地方に春を呼ぶ火祭り、神倉神社の「お燈まつり」は毎年2月6日夜、行われます。
熊野年代記には、西暦574年(敏達天皇3年)正月二日に神倉山が光を放ち、翌年正月六日夜、神倉火祭り始まると記されており、歴史ある炎のみそぎ神事で県無形文化財に指定されています。

熊野三山の一つ熊野速玉大社の摂社・神倉神社は、日本書紀に天ノ磐盾と呼ばれたゴトビキ岩がご神体。素朴な自然崇拝の原点で、熊野三山の神々降臨の霊山と いわれています。ここを舞台に、2000人前後の上り子が、白装束に荒縄を胴に巻いたいでたちで、五角錐の松明に御神火を受け、一年の家内安全などを祈 願。急峻な538段の石段を駆け下りる奇祭で、その様は、「お燈まつりは男の祭り、山は火の滝くだり竜」と新宮節に唄われています。神倉神社は、お燈まつり当日だけ女性の入山は禁止されています。
引用
http://www.rifnet.or.jp/~shingu/oto/

2011年3月22日火曜日

2011年3月21日月曜日

2011年3月20日日曜日

2011年3月19日土曜日

上賀茂神社 紀元祭 蹴鞠3



古の百景: 蹴鞠はじめ 下鴨神社 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

桃花神事 (とうかじんじ) 上賀茂神社



http://www.the-kyoto.jp/topics/03hina/index.html
京都のひな祭り|京都観光の事なら「ざ・京都」・観光情報、タウン情報が満載 via kwout

神前に草餅や桃花・辛夷(こぶし)の花を供え、疫病の災いを祓い除け、国家安寧を祈念します。

日本においても中国と同様、古くから桃には邪気を祓う力があると考えられている。『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。また、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話である。3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事である。
日本列島では桃の存在を示す桃核の出土事例が縄文時代後期からあり、弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。桃は食用のほか祭祀用途にも用いられ、斎串など祭祀遺物と伴出することもある。平安時代 - 鎌倉時代には水菓子と呼ばれ珍重されていたが、当時の品種はそれほど甘くなく主に薬用・観賞用として用いられていたとする説もある。江戸時代に更に広まり、全国で用いられた。明治時代には、甘味の強い水蜜桃系(品種名:上海水蜜桃など)が輸入され、食用として広まった。現在日本で食用に栽培されている品種は、この水蜜桃系を品種改良したものがほとんどである。
3月下旬から4月上旬頃に薄桃色の花をつける。「桃の花」は春の季語。桃が咲き始める時期は七十二候において、中国では桃始華、日本は桃始笑と呼ばれ、それぞれ啓蟄(驚蟄)の初候、次候にあたる。
 啓蟄(驚蟄)

上賀茂神社 紀元祭 蹴鞠2




紀元祭(紀元節祭)
紀元節が祭日とされていたときには、その当日、宮中の賢所、皇霊殿、神殿では、紀元節祭が行われ、紀元節の祝宴も行われた。また、全国の神社においても、紀元節祭が行われた。

紀元節祭は、初めて紀元節とされた1873年(明治6年)1月29日に、宮中の皇霊殿において行われたのが最初である。このときには皇霊殿においてのみ祭祀が行われ、賢所には便りの御拝が行われただけであった。1914年(大正3年)から、全国の神社でも紀元節祭を行うように定められ、1927年(昭和2年)の皇室祭祀令の一部改正によって、賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿において行われるようになった。皇室祭祀令によれば大祭とされ、御親祭(天皇が自ら行う祭祀)が行われた。天皇の出御は午前9時30分で、御拝礼御告文を奏して入御。ついで皇后、皇太后の御拝、皇族の御拝がある。参列員は文武高官有爵者優遇者、勅任待遇までの官僚で、正午から午後3時30分まで、有資格者の参拝が許された。当夜は賢所御神楽の儀に準じて皇霊殿に御神楽の奏楽があり、このとき天皇が御拝して、入御ののち神楽に移った。天皇は、神楽が終わるまで就寝しなかった。伊勢神宮、官国幣社以下の神社においては、1914年(大正3年)から、中祭式で祭典が行われた。

1947年(昭和22年)の皇室祭祀令廃止および1948年(昭和23年)の祝祭日廃止を受けて、1949年(昭和24年)以降、宮中祭祀において紀元節祭は行われなくなった。しかし、昭和天皇も今上天皇も、2月11日には宮中三殿で臨時御拝を行い、橿原神宮へ勅使が派遣されている。また、御神楽奉納は神武天皇祭(4月3日)に併せて行われている。Wikiより

上賀茂神社 紀元祭 蹴鞠1



紀元節
四大節の一。明治5年(1872)、日本書紀の伝える神武天皇即位の日に基づいて制定された祝日で、2月11日。昭和23年(1948)廃止されたが、同41年から「建国記念の日」として復活し、国民の祝日となった。

2011年3月10日木曜日

上賀茂神社 紀元祭 修祓



2月11日は、現在建国記念の日と言われておりますが、以前では紀元節と言われ、初代天皇である神武天皇が橿原の宮において即位されたことを奉祝する日です。上賀茂神社では、古来より当日にお祭りを行っておりますが、当日は蹴鞠、武道等の奉納があり、蹴鞠は体験も可能です。奉祝時間は以下の通りです。上賀茂神社HPより

修祓(しゅうふつ、しゅうばつ)
神道の祭事に先立って、神職が行う清めの儀礼。

祭典において、神さまをお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓うこと、つまりお祓いのことを「修祓」といいます。 まず神職が祓詞(はらえことば:神々の力によってさまざまの罪穢を祓い清めてもらうための祝詞)を秦上し、そのあとに行われるので、その間は祭典に参列し ている人たち全員が、頭を下げた姿勢のままでお祓いを受けます。 修祓の具としては、大麻(おおぬさ:榊の枝に麻と紙垂を付けた祓の具)・切麻(細かく切った麻と2センチ角程に切った白紙を混ぜた祓の具)・米・塩・塩水 などが用いられますが、一般的なのは大麻や塩湯(えんとう:塩を溶かした湯あるいは水を器に入れ、榊の小枝で祓う)によるお祓いです。 大麻は左・右・左と振ります。神社と神道HPより 
http://jinja.jp/modules/chishiki/index.php?content_id=114

2011年3月7日月曜日

下鴨神社 流し雛 2011

上巳(じょうし/じょうみ)

上巳(じょうし/じょうみ)とは、五節句の一つ。3月3日。旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句とも呼ばれる。

「雛祭り」の起源は京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」が始まりとされている。やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、行事となり発展して行った。その後、紙製の小さな人の形(形代)を作ってそれに穢れを移し、川や海に流して災厄を祓う祭礼になった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。

元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句(菖蒲の節句)は「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。


古の百景: 下鴨神社 賀茂御祖神社 流しびな