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2012年4月23日月曜日

おのころ島神社

http://www.kobe-np.co.jp/news/awaji/0004938990.shtml




神戸新聞|淡路|大鳥居、化粧直し進む 南あわじ・おのころ島神社 via kwout

オノゴロ島(オノゴロしま、オノコロ島とも)は、日本神話に登場する島。イザナギ・イザナミの国産み・神産みの舞台となる島である。『古事記』では淤能碁呂島(おのごろじま)、『日本書紀』では磤馭慮島(おのころじま、初字は「石殷」で一字)と表記する。

イザナギとイザナミが天(『古事記』では高天原)にある天浮橋に立って天沼矛を混沌とした下界に突き刺し、「こをろこをろ」とかき混ぜて引き上げると、矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって島になった。これがオノゴロ島であるとする。

二神はオノゴロ島に降り立ち、そこに天御柱(あめのみはしら)を建て、島々や神々を生み出した。

「オノゴロ島」は、「自ら凝り固まった島」の意とするのが一般的である。しかし、天沼矛でかき混ぜた時の「こをろこをろ」という擬音が語源であるとする説もある。

オノゴロ島は一般には架空の島と考えられているが、実在する島だとする説もある。『古事記』にある仁徳天皇が詠んだ以下の歌がその根拠とされている。

「離於皇居 立難波岬 遙望國土 可視淡島 淤能諅呂 望檳榔島 佐氣都島」

    おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島(あはしま) 自凝(おのごろ)島 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さき)つ島も見ゆ
    (現代語訳)難波の岬に立って私が領有する国を見ると、淡島、オノゴロ島、檳榔の島も見える。佐気都島(離れ小島と解釈する説もある)も見える。 

2012年3月15日木曜日

勝軍会(しょうぐんえ)

http://www.asahi.com/edu/news/OSK201202140044.html
朝日新聞デジタル:子供の成長願い10年ぶり勝軍会 兵庫・斑鳩寺 - 教育 via kwout


通称「御頭会(おとうえ)」と言われ、毎年2月に行われます。
聖徳太子の仏敵物部守屋討伐に由来する古事にそった伝統ある行事で、御頭人に選ばれた男児が立派に成人することを祈願されます。 

2012年2月24日金曜日

春会式

http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/p1_0004834112.shtml
神戸新聞|姫路・西播磨|稚児行列華やかに 太子町・斑鳩寺で春会式 via kwout



 聖徳太子の命日の2月22日と翌23日に、法要がおごそかに営まれます。

http://www.town.taishi.hyogo.jp/dd.aspx?menuid=1758

2012年1月25日水曜日

坂越の船祭り

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001201210003
asahi.com:坂越の船祭り国重文答申/赤穂-マイタウン兵庫 via kwout

河勝は、太子亡きあとの皇極3年(644年)蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に八十余歳で没した。 大避神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。


坂越の船祭り

今から300年ほど前の江戸時代初期、大避神社の祭神であった秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったと言われる。 大阪天満宮天神祭、安芸厳島神社管絃祭と並び瀬戸内海三大船祭りの一つとして毎年10月の第二日曜日に行われる。

祭礼第一日目の宵宮は河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われ、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちに よる獅子舞が町内を巡る。 二日目の本宮(神幸式)は午前中から獅子舞の里中奉舞が前日より続く中、海上では櫂伝馬船による漕比べ(花回り)が磯を巡る。正午過ぎに行われる御分霊御 遷祭のあと猿田彦・神楽獅子の先祓いを先頭に頭人番五町による宮出し行列が神社から浜までを下り、浜辺で櫂伝馬船の青年たちによる勇壮な橋板バタ掛けが行 われたあと御神体が神輿船に乗船、一番・二番の櫂伝馬、三番の獅子船、四番から八番までの頭人船、九番の楽船、十番の御神輿船、十一番の警護船、十二番の 歌船からなる和船12隻が船行列を組み、獅子舞や御船歌、雅楽が奏でられる中をお旅所のある生島までを往復する。(海上船渡御) お旅所での神事の終わる夕刻、十数基の篝火が浜で一斉に焚かれる中を高張提灯を灯した船団が再び神社に還幸し宮入鎮座祭のあと一連の祭事が終了する。

坂越の船祭りは和船造船技法(使用する和船は兵庫県有形民俗文化財に指定)をはじめとする伝統的な技術工芸や儀礼・儀式での御歌、雅楽、平成21年 に60年ぶりに復活した船壇尻船の舞台や壇尻囃子などの雅やかな芸能の要素が数多く含まれ、現在でも船渡御の動力は二艘の櫂伝馬船の人力のみで行われてい るなど、古来からの伝承のままを踏襲し行われており、伝統的な儀式として荘厳、華麗、幽玄かつ勇壮という、わが国では他に類をみない祭礼として、平成4年 (1992年)に文化庁から選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され調査が続けられていたが、平成24年(2012年)文化審議会が文部科学相に答申、近く国の重要有形民俗文化財に指定される見通し。指定されれば兵庫県下では7件目、西播磨地域では初の指定となる。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%81%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE

2012年1月19日木曜日

御粥占祭で豊作を祈願 伊弉諾神宮

http://kawarimono.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/01/15/photo_4.jpg
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20120116ddlk28040223000c.html

丑の刻(2時)、寅の刻(4時)、卯の刻(6時)の三度、桃枝の薪で竹筒に入れたお粥を炊き上げます。辰の刻(8時)に本殿に奉り、3本の竹筒から流れ出るお粥の形状により、
この年の作柄を占います。 http://awajinet.sblo.jp/article/42584633.html


2011年8月30日火曜日

伊弉諾神宮




国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二柱をお祀りする神社。古事記・日本書紀の神代巻に創祀の記載がある最古の神社で、淡路国一宮として古代から全国の掌敬を集めています。延喜式名神大社、三代実録神格一品、旧官幣大社で兵庫県唯一の「神官号」を宣下された神社です。

古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされたイザナギ尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に、「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されています。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源です。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮、淡路島神、多賀明神、津名明神と崇められています。

「陽の道しるべ」
伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように、東西南北には縁ある神社が配置されていることは実に不思議です。神宮の境内には、太陽の運行図として、このことを紹介する「陽の道しるべ」というモニュメントが建っています。神宮の真東には飛鳥藤原京、さらに伊勢皇大神宮(内宮)が位置しており、春分秋分には同緯度にある伊勢から太陽が昇り、対馬の海神(わたつみ)神社に沈みます。そして夏至には信濃の諏訪大社から出雲大社、冬至には熊野那智大社から高千穂神社へと太陽が運行します。

「夫婦楠」
境内には、イザナギ・イザナミの二神が宿る御神木として、夫婦円満、安産子授、縁結びなどの御利益があると信仰されている樹齢約900年の夫婦大楠があります。

祭り
また神宮では、年間を通して古式ゆかしいお祭りがとりおこなれ、今日も古くより伝わる淡路神楽の囃子が聴こえてきます。

1月15日 粥占祭
4月22日 春の例祭
6月1日 御田植祭
立春・立夏・立秋・立冬の日 湯立神楽祭

2010年8月10日火曜日