2012年1月25日水曜日

坂越の船祭り

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asahi.com:坂越の船祭り国重文答申/赤穂-マイタウン兵庫 via kwout

河勝は、太子亡きあとの皇極3年(644年)蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に八十余歳で没した。 大避神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。


坂越の船祭り

今から300年ほど前の江戸時代初期、大避神社の祭神であった秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったと言われる。 大阪天満宮天神祭、安芸厳島神社管絃祭と並び瀬戸内海三大船祭りの一つとして毎年10月の第二日曜日に行われる。

祭礼第一日目の宵宮は河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われ、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちに よる獅子舞が町内を巡る。 二日目の本宮(神幸式)は午前中から獅子舞の里中奉舞が前日より続く中、海上では櫂伝馬船による漕比べ(花回り)が磯を巡る。正午過ぎに行われる御分霊御 遷祭のあと猿田彦・神楽獅子の先祓いを先頭に頭人番五町による宮出し行列が神社から浜までを下り、浜辺で櫂伝馬船の青年たちによる勇壮な橋板バタ掛けが行 われたあと御神体が神輿船に乗船、一番・二番の櫂伝馬、三番の獅子船、四番から八番までの頭人船、九番の楽船、十番の御神輿船、十一番の警護船、十二番の 歌船からなる和船12隻が船行列を組み、獅子舞や御船歌、雅楽が奏でられる中をお旅所のある生島までを往復する。(海上船渡御) お旅所での神事の終わる夕刻、十数基の篝火が浜で一斉に焚かれる中を高張提灯を灯した船団が再び神社に還幸し宮入鎮座祭のあと一連の祭事が終了する。

坂越の船祭りは和船造船技法(使用する和船は兵庫県有形民俗文化財に指定)をはじめとする伝統的な技術工芸や儀礼・儀式での御歌、雅楽、平成21年 に60年ぶりに復活した船壇尻船の舞台や壇尻囃子などの雅やかな芸能の要素が数多く含まれ、現在でも船渡御の動力は二艘の櫂伝馬船の人力のみで行われてい るなど、古来からの伝承のままを踏襲し行われており、伝統的な儀式として荘厳、華麗、幽玄かつ勇壮という、わが国では他に類をみない祭礼として、平成4年 (1992年)に文化庁から選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され調査が続けられていたが、平成24年(2012年)文化審議会が文部科学相に答申、近く国の重要有形民俗文化財に指定される見通し。指定されれば兵庫県下では7件目、西播磨地域では初の指定となる。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%81%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE

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