2010年6月1日火曜日
大山祇神社抜穂祭 一人相撲二番・三番勝負
毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)において、大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で行われる相撲神事である。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つ。「すもう」は一般に「相撲」の字を当てるが、ここでは、相撲を含めた広義の力くらべである「角力」の文字を用いて一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。
この神事については「三島大祝安積の松山寺社奉行所差出書」(宝永4年(1707年))に5月5日・9月9日に相撲を取らせたとあり、また大三島の瀬戸地区(現 今治市上浦町南東部)の向雲寺住職慈峯が享保20年(1735年)に「端午(5月5日)神事の節於宮浦邑の斎事有其内瀬戸の独り相撲と名乗る儀式あり役人は甘崎(瀬戸に隣接する地区)より出候得共瀬戸と名乗る」と記しており、古くからの神事であったことが察せられる。(貞治3年(1364年)の書物にも相撲奉納の記録が残る。)
春の御田植祭の時には、お田植神事の前に、そして秋の抜穂祭の時には、抜穂神事の後に行われており、稲の精霊が勝つことによって、春には豊作が約束され、秋には収穫を感謝するという神事である。全国的にも珍しく、昭和39年(1964年)に愛媛県の無形文化財の指定を受け、昭和52年(1977年)に県の無形民俗文化財に指定替えになる。
記録によると江戸時代は現在の今治市上浦町瀬戸の力士によって行われ、一番勝負であったとされる。また、明治以降の力士として、堀田金八、藤原岸蔵、藤原初治、越智直治、松岡栄太郎、藤原忠八、元岡敬、藤原荒市などの氏名が記されており、いずれも10年20年と奉仕してきたようである。また、現在使われている「一力山」という四股名は藤原百千氏の命名による。
昭和59年(1984年)を機に途切れていた一人角力は、大三島中学校教諭 越智秀雄のはたらきかけにより、平成2年の愛媛県地域生活文化研究発表会で大三島中学校生徒により披露されることとなり、以後同中学校において伝承文化発表会で毎年熱演されている。平成6年~10年の間には、大三島中学校生徒会 会長・副会長による一人角力が実際の御田植祭と抜穂祭でも奉納された。現在、しまなみ海道開通(平成11年)を契機として、地元の若者の中から菅貞之(力士)・多和祥栄(行司)の2人により成人の一人角力復活がなされている。
古の百景: 大山祇神社抜穂祭 てっせん
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿