2010年7月25日日曜日

紫雲山 金戒光明寺 (こんかいこうみょうじ)  黒谷さん(くろたにさん)

紫雲山・くろ谷 金戒光明寺

金戒光明寺 説明
金戒光明寺 説明 posted by (C)お寺しゃしん


金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称寺名をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つである。

金戒光明寺010
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鎧かけの松
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承安5年(1175年)春、法然が比叡山の黒谷を下った。その後岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。するとその石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然はここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされる。ここは、「白川の禅房」と呼ばれ、もとは比叡山黒谷の所領で、叡空入滅の時、黒谷の本房と白川の本房を法然に与えた。そのため比叡山の黒谷を元黒谷、岡崎の地を新黒谷と呼んだ。後に法然は信空に黒谷の本房と白川の本房を与え、信空はこの地に住んだ。その後岡崎の地を新黒谷とは呼ばず、黒谷(くろだに)と呼ぶようになる。なお比叡山では黒谷を現在も黒谷と呼ぶ。第5世恵顗の時に堂を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになった。法然が最初に浄土宗を布教を行った地であることに因み、後小松天皇から「浄土真宗 最初門」の勅額を賜った。江戸時代初期に城郭構造に改修された。文久2年(1862年)京都守護職の本陣となった。第二次大戦後「黒谷浄土宗」として一派独立するが現在は浄土宗に合流し七大本山の一翼を担う。御詠歌「池の水ひとの心に似たりけり 濁り澄むこと定めなければ」





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金戒光明寺(紫雲の庭)
金戒光明寺(紫雲の庭) posted by (C)のりりん



金戒光明寺の桜
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金戒光明寺 山門から本堂
金戒光明寺 山門から本堂 posted by (C)お寺しゃしん



文殊の塔
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彩られた三門-金戒光明寺
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金戒光明寺5
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栄摂院(金戒光明寺塔頭)
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金戒光明寺
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金戒光明寺(方丈前庭)
金戒光明寺(方丈前庭) posted by (C)のりりん



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金戒光明寺003
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金戒光明寺007
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所在地
浄土宗大本山 くろ谷 金戒光明寺
〒606-8331 京都市左京区黒谷町121 TEL:075-771-2204


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