酒列磯前神社の創建は『文徳実録』によると、856年(斉衡3年)である。中世には廃絶し社殿もなくなっていたが、近世になって、水戸藩主徳川綱條により再興される。
酒列磯前神社は岬の高台の上に西向きに鎮座している。岬は陸地と海原の境界である。岬はこの世と異界の境界であると同時に両者を繋ぐところでもあるのである。
酒列磯前神社は大洗磯前神社とともに2社で一つの信仰を形成しているが、これは珍しいことではない。鹿島神宮と香取神宮の例や熊野三山の例がある。交通の便も悪いことから、現在では大洗磯前神社と比べると寂れていると言わざると得ない。この神社は安産育児の神、医療の神、造酒の神などとしても信仰されている。
二の鳥居には、昭和の名人石工飯塚兵吉が彫った狛犬が鎮座している。
大洗町の大洗磯前神社と深い関わりを持ち、2社で一つの信仰をなしている。
酒列磯前神社,樹叢(じゅそう)について
酒列磯前神社は主祭神少彦名命,配祀神大己貴とする神社です。創建は不明ですが「文明実録」の天安元年の条に「酒列磯前神」という記述があることから,これをさかのぼると考えられます。本社が現在地に遷宮したのは元禄15年(西暦1702)。【元禄3年(1690)に本社を参拝した義公(第二代藩主徳川光 圀)は,遷宮を命じ元禄12年に現在地への遷宮が決定され建設着手。義公の死去により一時中断。粛公(第三代藩主綱條)により元禄14年に復興。】現在に 至る。鳥居から拝殿まで続く参道両脇の樹叢は,手厚く保護されてきて現在の樹叢が形成されたものと考えられます。通称「椿山」と呼ばれており,現在もツバ キの巨樹が数本存在しています。
樹種の構成はタブノキ,スダジイ,ヤブツバキ,ヒサカキ,モチノキなどの常緑広葉樹を主体とし,エノキ,ケヤキなどの落葉広葉樹とスギ,クロマツ(常緑針葉樹)が点在します。
この結果から,シイ類やカシ類,クスノキ,タブノキ,ヤブニッケイ,シロダモ,ツバキなどの構成種で特徴づけられる照葉樹林 と位置付けられました。照葉樹林としての特徴が比較的良好に保存されており,本来この地域に成立していたであろう森林の姿を知る上で極めて貴重な存在で す。--ひたちなか市HPより--
茨城県神社庁HP 酒列磯前神社 http://www.oyashiro.or.jp/link/0006.html
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