節分は、季節の分かれ目の意味で、元々は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしていた。節分が特に立春の前日をさすようになった由来は、冬から春になる時期を一年の境とし、現在の大晦日と同じように考えられていたためである。
立春の節分に豆をまく「豆まき」の行事は、「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習である。「追儺」の行事は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、文武天皇の慶雲3年(706)に宮中で初めて行われた。一般的に豆まきに使う豆は炒った大豆であるが、豆まき後の掃除が簡単なことや、まいた豆も食べられることから、地方によっては落花生を用いるところもある。
鰯(いわし)の頭を、柊(ひいらぎ)の小枝に刺して戸口に挿す風習は、近世以降行われるようになったもので、これも魔除けのためである。---語源由来辞典より---
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。
節分の行事は宮中での年中行事であり、延喜式では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた。『続日本紀』によると706年(慶雲3年)にこの追儀が始まり、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年(文安4年)に「鬼外福内」を唱えたと記されている。近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。---Wikiより---
豆で邪気を祓う
節分の日は、豆まきをして「鬼(邪気)」を払います。
豆まきには悪魔のような鬼の目"魔目〔まめ〕"にめがけて豆を投げれば"魔滅〔まめ〕"すなわち魔が滅するという意味があると考えられています。これらの意味から、豆は鬼を払う道具でありながら、鬼そのものととらえられていたようです。そのため、節分の豆まきの際は鬼である豆を家の外に投げながら「鬼は外」と唱えます。
豆まきの他、鬼を払うため鬼が嫌う柊〔ひいらぎ〕の枝に鰯〔いわし〕の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒った大豆を年の数だけ食べるなどの習慣が現代も続いています。
また、古来鬼は"陰〔おに〕"と言われ、姿の見えない災いなどを総合的に指す言葉でした。しかし、陰陽五行説(※)の考え方を用い占いを行うようになり、鬼は「毛むくじゃらで身のたけが高く、赤や青色の皮膚をしており、筋肉質で丑寅〔うしとら〕の方角から来る」などの具体的な形に変化したそうです。
※…中国の春秋戦国時代に発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想のことです。
--- 日本文化いろは事典より---
深大寺HPより
晴明神社
下鴨神社 古式に則った宮中行事の流れを汲む節分祭を行っておられ、正月に宮中で行われた「射礼の儀」と呼ばれた追儺弓神事を行います。鬼がでてきません。
三嶋神社HPより
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