2010年3月25日木曜日

黒谷 青龍寺(せいりゅうじ)



元黒谷 青龍寺(もとくろだに せいりゅうじ)






http://www.jodo.or.jp/footprint/05/index_01.html
比叡山黒谷 青龍寺 via kwout




ご由緒
青龍寺は比叡山西塔の別所黒谷にあり、天台座主慈恵大師良源の創建と伝えられています。この地は
大黒天の現れた霊地といわれ、もともとは大黒谷と呼ばれて いましたが、いつのころからか黒谷と
呼ばれるようになりました。


比叡山に登り皇円阿闍梨の元で修行をしていた法然上人は隠棲の思いを強く持ち、当時黒谷にいた慈
眼房叡空上人をたずねました。叡空上人は法然上人の道心 の深いことに感心し、「法然房源空」と名
づけられたといわれています。その後、法然上人はこの地で二十五年に渡り膨大な経典を学び修行を
続け、ついに全て の人を救う教えである浄土宗の教えを見つけられました。青龍寺は法然上人が修行
に励まれた地で浄土宗開宗の場といえる霊蹟なのです。


黒谷は根本中堂(国宝指定)などの伽藍が立ち並ぶ東塔とは違い、西塔のはずれに位置する谷深く緑
豊かな静かな地です。青龍寺は天台宗の寺院ですが浄土宗 総本山知恩院が管理する青少年修練道場が
あり、毎年夏には様々な研修が行われ念仏の声が響きます。



近くには室町末期の建築で信長による焼き討ちを免れた唯一の堂宇である瑠璃 堂(重文指定)などもあ
ります。奥比叡ドライブウェイ上にある西塔駐車場から、西塔参拝 道を釈迦堂(重文指定)方面に向か
い、瑠璃堂入口の先にある青龍寺(黒谷青少年修練道場)入口に進みます。青龍寺までは急な石段や山
道があります。蜂道駐車場や根本中堂のある東塔より西塔地区にある浄土院(伝教大師最澄霊廟)など
の諸堂宇を参拝しながら参道を向かうことも 出来ます。










青龍寺(せいりゅうじ)は 比叡山西塔北の谷にある寺院である。黒谷青龍寺という。法然の札所番外。大黒天出現の地という伝承から、大黒天を安置し、大黒谷と呼ばれていたのが黒谷となったという。京都の金戒光明寺の地を黒谷というようになったことから、元黒谷といわれている。
黒谷には、報恩蔵(ほうおんぞう:今日でいう図書館)があり、法然はそこにこもって5048巻に上る一切経(お釈迦様がお説きになった仏教の経典を集めたもの)を繰り返し読破された。黒谷の充実した修行について法然は、「どんな難解な経典も、三回繰り返して読めば、その文章も意味も暗記できるようだった」と語っている。
御詠歌
たつ杣(そま)や南無阿弥陀仏の声引くは 西にいざなう秋の夜の月



所在地
京都府京都市左京区八瀬秋元 町946


大きな地図で見る


叡空
叡空(えいくう、生年不詳 - 治承3年(1179年))は平安時代後期の天台宗の僧。父は太政大臣藤原伊通とされるが定かではない。房号は慈眼房。
良忍から大乗戒をうけて密教・浄土教を学び、比叡山西塔黒谷に住した。「往生要集」の講義で学名高く、大乗戒律と密教についても比叡山第一の学僧と称され、大乗戒律では黒谷流の祖とされる。多くの公家に対し授戒の師となり、その中でも特に久我家とは師檀関係にあった。1150年(久安6年)には浄土宗の祖法然が入門し、天台教学・浄土教学を指導し、大乗戒を授けている。




良源
尊称     元三大師
角大師
豆大師
厄除け大師
生地     近江国虎姫
宗派     天台宗
弟子     源信

良源(りょうげん、延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日))は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られる。比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。

良源は、第18代天台座主(てんだいざす、天台宗の最高の位)であり、実在の人物であるが、中世以来、独特の信仰を集め、21世紀に至るまで「厄除け大師」などとして、民間の信仰を集めている。




0 件のコメント:

コメントを投稿