2010年8月8日日曜日

菅生石部神社 御願神事(竹割まつり)



菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は石川県加賀市にある神社である。式内社、加賀国二宮で、旧社格は国幣小社。通称敷地天神、菅生天神。

むかし疫病が流行しそれを鎮めるために用明天皇元年(585年)に宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地にお遷しになり、疫病を鎮め五穀の豊穣を祈願したことにはじまる。
中世には越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられる。 住古より正親町夫皇の頃まで一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸・富樫昌家・足利義持・豊臣秀吉・山口玄蕃等部門武将深く尊崇。

前田藩においては氏神として神地寄進社殿造営調度の修復等が絶えず、夏祭天神講を藩祭とし、三日間の中の日を仕事休めの日として、藩内に住む人々全てを参拝させ崇敬の誠を捧げました。


「竹割まつり」の俗称を持つ御願神事は、毎年2月10日に行われる例祭です。 天武天皇白鳳五年(677年)、の宝祚窮国家安泰御立願により、治世にも乱を忘れないようにと、山幸彦の炎出見尊(ほほでみのみこと)と、兄で海幸彦の酢芹尊(すせりみこと)の神軍(たたかい)にならい、尚武の道を忘れぬための行事とされています。

菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)HP
http://www.tenjin.or.tv/index.htm

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