平安期、境内から病気に効く香水がわき出たので清和天皇がこの名を賜ったという。桃山期の特色ある建築物のうち表門や極彩色彫刻の本殿は重文。神功皇后ほ かを祀り、豊 臣秀吉は伏見城の守り神とした。書院の庭は、小 堀遠州ゆかりの石庭。鳥羽伏見の戦いでは薩軍の屯所に。10月3日~10月11日までの神 幸祭は「伏見祭」といわれ伏見随一の祭。獅子一対・御輿3基、武者行列のほか、多数の氏子が出仕しての行列がある。10月3日、10月10日夕方 から趣向をこらした大小の花傘が氏子各町から「アラウンヨイヨイ…」のかけ声で参加し、夜遅くまでにぎわう。
建立:現在の本殿の建立 1605(慶長10)年
環境省名水百選認定 「伏見の御香水」
伝承によると、この年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったというが、実際には筑紫の香椎宮を勧請したという説のほうが有力である。
創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によると、この年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったというが、実際には筑紫の香椎宮をこの地に勧請したという説のほうが有力である。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されている。
豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした。(現在でも古御香宮として残っており、また伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている。)
後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。
能舞台 |
絵馬堂 |
拝殿の極彩色唐破風彫刻 |
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御香宮神社:極彩色豊かな拝殿 posted by (C)yume
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