『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表わす語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた。つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合いである。
唐招提寺のHPで動画がみれます。
寺所蔵説話
唐招提寺蔵片仮名文説話三種 影印・翻刻並に解説 : 「取鷹俗母縁」「役行者悲母事」「桃華因縁」民話
唐招提寺を開いた鑑真和上は、唐の高僧でした。いくたびも日本に渡ろうとしては失敗 し十一年、ついに日本の土を踏んだ時、辛苦のため和上の目は盲しいていました。 さて、唐招提寺には、鑑真和上の持ち来たった三千粒の仏舎利が祭られています。その仏舎利も、数奇な運命をたどって日本へ渡ってきたのです。 日本に向かう航海中のある日、一天にわかに曇り、海が荒れ始めました。そして長さ 三丈にも達する大海蛇が現れて、船の中央に座する鑑真和上の手から、舎利瓶を奪い取ったのです。思託という和上の弟子が、すかさず海に飛び込みました。大海蛇と格闘することしばし、ようやく思託は舎利瓶を取り戻し、船に戻ってきました。ところが海はますます激しく荒れ狂い、船は木の葉のように揺れて、再び舎利瓶は 波間にのみこまれたのです。 鑑真和上は、先ほどの大海蛇は竜神かその使者に違いあるまい、と考えました。 それで一同に命じみなで竜神に向けて舎利の無事を祈ったのです。 やがて波のうねりが次第に小さくなっていき、波間にキラリと光る物が現れました。 それは舎利瓶を背にのせた黄金色の亀でした。亀は一人の老人に変身すると、和上にこう語りました。
「私は昔、釈尊に教えを受けた輪蓋竜王である。そなたはこれから日本に渡り寺を 創建するが、その寺の東南に竜王と白い石が現れ、舎利と寺を守るだろう。」と、 そして舎利瓶を和上に渡し、老人は海に消え去ったのです。
唐招提寺創建の折、本当に白い石が寺の東南に現れました。鑑真和上は池を作り、竜神をそこに祀りました。今もある鎮守社がそれで、唐招提寺が一千年以上も火事に あうことがなかったのは、この竜神のおかげだと信じられています。(奈良の昔話と観光スポットより)
仏像
唐招提寺HP http://www.toshodaiji.jp/about_kondoh.html
仏教美術
http://www.yamagata-net.jp/usr/yamagu2/bukkyo/page/A0006.html
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