2010年10月10日日曜日
2010年10月8日金曜日
2010年10月7日木曜日
八幡神社(勝利八幡神社)
桜上水、上北沢の鎮守である勝利八幡神社。平安時代に京都府八幡市に鎮座する石清水八幡宮より勧請されました。勝利という名前からスポーツ関係からの参拝が多いそうです。

八幡神社(勝利八幡神社) via kwout
2010年10月2日土曜日
宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)
御祭神 三座
高御魂尊(中座)
天太玉命(東座)
思兼命 (西座)
境内社
天孫降臨に随従された神々を祀る
天鈿女命社
天岩戸の前で神楽を舞い天孫降臨に随従された女神、芸能の祖神
猿田彦命社
天孫降臨の時先頭に立って八街の邪神を祓い交通安全に導かれた神
手力男命社
天岩戸の変の時岩戸を開いて天照大神を助け申し上げた力の強い神で天孫降臨に随従された神
大宮媛命社
太玉命の御子、天照大神に仕え世を平和に導かれた神
豊岩窓命社
御門の神、天孫降臨のとき天照大神の勅を承り、思兼命、天力男命と共に豊葦原に降り給うた神
-奈良県史(神社)より-
『大和志』に宇奈多理坐高御魂神社法華寺村にあり、今楊梅天神と称すとあり、式内 大社の当社にあてられているが、横井町あたりに鎮座の社が当社だとの説もある。古来法華寺鎮守としてその管轄化にあったが、明治の神仏分離で紳域内の本地 仏十一面観音は法華寺に移され、神社は地元村で祀られることになった。祭神は高皇産霊神・太玉神・思兼神。流造三間社本殿は室町初期の建築で、重要文化 財。『日本書紀』持統天皇の六年(692)十二月二十四日太夫等を遣わして、新羅の調を大倭菟名足外四社に奉ったとあり、『三代実録』貞観元年(859) 四月の条に「従四位下法花寺坐神従四位上」とある外、「延喜」の制では大社として月次・相嘗・新嘗と出ている。延宝九年(1681)の『和州旧跡幽考』の項に「法華寺西南辺に楊梅の天神という社あり。此のほとりにや。楊梅の宮をたてて天皇うつり給ふて後、五位以 上を宴し給ふよし、くわしくは『続日本紀』にあり」と、光仁天皇の宝亀四年(773)二月完成したという楊梅宮は天神社のほとりではないかといっている。 「楊梅」を転じて「桜梅」となったとみられ当社を桜梅天神ともいう。
由緒
延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では宇奈足とも菟足とも書いている。武内宿禰の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇 六年(692)二月には新羅の調を伊勢住吉紀伊大倭菟名足の五社に奉るとある。その一社でこの神社の神戸は正倉院文書の天平二年(730)大振る税帳新抄 格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言ってい るのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社流造檜皮葺で国指定の重要文化財である。境内一帯は平城天皇の楊梅宮址 とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。ー社頭掲示板よりー
所在地
奈良市法華寺町 600
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影の実力者、藤原不比等の邸宅があったとされる地へ(記紀ルート04)|記紀・万葉でたどる奈良 via kwout
『日本書紀』持統天皇6年12月甲申(24日)条(692)
遣二大夫等一奉二新羅調於五社一。伊勢。住吉。紀伊。大倭。菟名足。
遣二大夫等一奉二新羅調於五社一。伊勢。住吉。紀伊。大倭。菟名足。

穴栗神社 via kwout
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm055.html
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm055.html
正倉院文書の天平2年(730)の「大和国正税帳」には、「菟足神戸稲伍拾捌束参把」とあり、菟足社が財源として添上郡に封戸を持っていたことがわかる。また、大同元年(806)の『新抄格勅符抄』神封部に、「菟足神十三戸、大和八戸、尾張五戸」とあり、これも菟足社の封戸の記録である。
菟足社は伊勢や住吉と並んで5社に入るような名社であり、奈良時代には神戸も与えられていた。しかし、神戸を支給するというのは、これによって神社の財政基盤を整えることであるから、平城宮内には祀られていなかったことの証明になるという。神祇官が祀ったはずだから、神祇官の予算で賄われていたはず、したがって独自の神戸はなかったということだろうか。
以上の説によれば、式内社の宇奈太理坐高御魂神社は古市の今木荘にあった菟足社のことであり、東院の宇奈太理坐高御魂神社は廃都以後に創建され、祭神が共通の高皇産霊尊ということで、社勢の衰えた本来の菟足社に変わっていつしか式内社を名乗るようになったということになる。
以上の説によれば、式内社の宇奈太理坐高御魂神社は古市の今木荘にあった菟足社のことであり、東院の宇奈太理坐高御魂神社は廃都以後に創建され、祭神が共通の高皇産霊尊ということで、社勢の衰えた本来の菟足社に変わっていつしか式内社を名乗るようになったということになる。

東院跡にある宇奈太理社が奈良時代の菟足社とは異なる可能性は高いが、同社が関心を集めるのは東院に存在するということと共に、祭神が高皇産霊尊であることが大きい。
『日本書紀』神代巻本文では高皇産霊尊は高天原の最高神であり、葦原中国に天下りするニニギノミコトの母方の祖にあたる。父方の祖が天照大神であるが、天下りを命令するのは高皇産霊尊である。天下りと国譲りのエピソードは天孫である天皇の国土統治を正当化する根拠となるが、その立役者が高皇産霊尊なのである。
『日本書紀』神代巻本文では高皇産霊尊は高天原の最高神であり、葦原中国に天下りするニニギノミコトの母方の祖にあたる。父方の祖が天照大神であるが、天下りを命令するのは高皇産霊尊である。天下りと国譲りのエピソードは天孫である天皇の国土統治を正当化する根拠となるが、その立役者が高皇産霊尊なのである。

蛇足
ほかの宇奈・・・
宇奈提 うなせ うなて
『出雲国造神賀詞』に皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」とあり、この「宇奈提(うなせ)」は「雲梯(うなて)」のことであるとして、延喜式神名帳に記載される式内大社「大和国高市郡 高市御坐鴨事代主神社」に比定されている(延喜式神名帳には「川俣神社三座」という社名が見えるが、これは近くの木葉神社に比定されている)。
『日本書紀』によれば、壬申の乱の際、高市郡大領高市縣主許梅に「高市社に居る事代主神」が神懸りし、大海人皇子(後の天武天皇)を守護すると神託した。大海人皇子の即位後、この霊験により、高市御坐鴨事代主神に、史上初となる神位が授けられている。万葉集にも当社のことを詠んだ歌がある。
住吉大社(大阪市住吉区)には畝傍山口神社境内における埴取の神事があるが、その祭祀を行う者は当社で装束を整えることが恒例となっており、そのことから「装束の宮」と俗称される。
ほかの宇奈・・・
宇奈提 うなせ うなて
『出雲国造神賀詞』に皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」とあり、この「宇奈提(うなせ)」は「雲梯(うなて)」のことであるとして、延喜式神名帳に記載される式内大社「大和国高市郡 高市御坐鴨事代主神社」に比定されている(延喜式神名帳には「川俣神社三座」という社名が見えるが、これは近くの木葉神社に比定されている)。
『日本書紀』によれば、壬申の乱の際、高市郡大領高市縣主許梅に「高市社に居る事代主神」が神懸りし、大海人皇子(後の天武天皇)を守護すると神託した。大海人皇子の即位後、この霊験により、高市御坐鴨事代主神に、史上初となる神位が授けられている。万葉集にも当社のことを詠んだ歌がある。
住吉大社(大阪市住吉区)には畝傍山口神社境内における埴取の神事があるが、その祭祀を行う者は当社で装束を整えることが恒例となっており、そのことから「装束の宮」と俗称される。

河俣神社 awamata via kwout
皇御孫命の静まり坐さむ大倭國と申して、己命の和魂を八咫鏡に取り託けて、 倭大物主櫛瓺玉命と名を稱へて、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂(みたま)を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、 事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美命の御魂を、飛鳥の神奈備に坐せて、皇御孫命の近き守神と貢り置き...出雲国造神賀詞奏上
万葉集
巻七 1344
真鳥住む雲梯の社(もり)の菅の根を衣にかき付け着せむ児もがも
巻十二 3100
思はぬを思ふと言はば真鳥住む雲梯(うなて)の杜の神し知らさむ
巻七 1344
真鳥住む雲梯の社(もり)の菅の根を衣にかき付け着せむ児もがも
巻十二 3100
思はぬを思ふと言はば真鳥住む雲梯(うなて)の杜の神し知らさむ
2010年10月1日金曜日
籠神社(このじんじゃ)神幸行列(葵祭・籠神社)
社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。これによって、当社を「元伊勢」という。
養老3年(719年)、 真名井原から現在地に遷座して主祭神を彦火明命とし、豊受・天照両神を相殿に祀り、社名を籠宮に改めた。真名井原の元の鎮座地は摂社・奥宮真名井神社とさ れた。後に海神・天水分神が配祀された。祭神が籠に乗って雪の中に現れたから「籠宮」という社名になったという伝承がある。
延喜式神名帳では「丹後国与謝郡 籠神社」と記載され、名神大社に列し、月次・新甞の幣帛に預ると記されている。
社家の海部氏は、彦火明命を祖とし、当社の創建以来、代々奉斎をしてきたとされ、現在は82代目である。4代目の倭宿禰命は、神武東征の際に速吸門で亀に乗って神武天皇の前に現れ、大和国へ先導した。「海部氏系図」が国宝に指定されている。(Wikiより)
籠神社HP
2010年9月27日月曜日
天岩戸神社 天安河原
西本宮の旧称は「天磐戸神社」、東本宮は「氏社」であったが、明治4年(1871年)にそれぞれ「天岩戸神社」、「氏神社」と改称し、昭和45年に合併、現在のごとく天岩戸神社東西両本宮を称すようになった。
グルネット宮崎 天岩戸神社 天安河原
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/amaiwato/amaiwato.htm
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