2010年3月12日金曜日

粥占神事 粥占の儀式 小豆粥の儀式 其の四 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)









伊太祁曽神社HPより
伊太祁曽神社は日本に木種を播き施し緑豊な国に造り上げたと『日本書紀』に記される木の神様”五十猛
命”を、お祀りする神社です。また『古事記』には五十猛命が大国主神の命を救った神話が記されてお
り、「いのち神」「厄除け・病気平癒の神」としての信仰も古くからあります。




ご由来
伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(西暦702年)です。

神代のことはわかりませんが、伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、日前神宮・国懸神宮
(ひのくまじんぐう・く にかがすじんぐう=通称:日前宮にちぜんぐう)の社地にお祀りされていたよ
うです。  日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年と伝えられていますので、その頃に山東(さんどう=現在の
伊太祈曽)に遷座 せられたようです。

しかしその場所は現在の社殿のある場所ではなく、南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる所
でした。現在も田んぼの中にこんもりした森が残ってお り、いかにも神奈備の様相を呈しています。
亥の森は旧社地として、小さな祠を祀っており毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が執り行われます。

「寛永記」には「伊太祁曽明神ハ和銅六年十月初亥ノ日当所に遷リ給フ」と記されており、現在の社地
への鎮座は和銅6年(西 暦713年)ということになります。
つまり太古より祀られていた伊太祁曽神社は日前宮の鎮座とともに山東に遷り、大宝2年の官命によって
社殿の造営がはじめられ、約10年後の和銅6年に現 在の地にご鎮座になられたというのが通説です。

延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、明神大・月次・新嘗・相嘗に預かると記載されており、平安期
には 朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。紀伊国(木国)の一ノ宮として朝野の崇敬を受
けてきまし た。







卯杖祭(うづえさい)






ご祭神
五十猛命(いたけるのみこと) 
大屋毘古神(おおやびこのかみ)
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
都麻津姫命(つまつひめのみこと)



木の俣くぐり


ご神水(いのちの水)

ご由緒その二

神話

鳥居と本殿

鳥居
伊太祁曽神社
伊太祁曽神社 posted by (C)ちゅうさん

本殿
伊太祁曽神社1
伊太祁曽神社1 posted by (C)on



ご鎮座地

〒640-0361 和歌山市伊太祈曽558
TEL 073-478-0006

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