2010年3月29日月曜日

思金神社(おもいかねじんじゃ)

思金神社公式HP


思金神社HPより 
くめども尽きぬ高天原の智恵袋
書紀には、思兼(おもいかね)と記されていますが、当神社は古事記に記されてい る思金神名で呼ばれています。「八意(やごころ)」とはこの神格への尊称である。「思金(兼)」の語は、宣長の「古事記伝」八に「思は万葉三に歌思辞思為 師(うたおもひことおもはしし)と云る思ヒにて、思慮なり。金は兼にて、数人(あまたびと)の思慮(おもいはか)る悟りを一(ひとり)の心に兼持てる意なり」一人で兼ね備えているほど頭のいい神様という意味であります。またの名を思金さんとか八意さんともいいます。


高天原に初めて現れたのが天 之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)次に高御産巣日神(たかみむすひかみ)であるが、 生成創造の高御産巣日神の児で、ニニギノ命の母は(萬幡豊秋津師比売命-よろずはたとよあきつしひめのみこと)この神の妹という。何と言っても、思金神の 名声を上げたのは、須佐之男命の悪行がもとで、天照大神が天之岩戸へお隠れになられた時、高天原では、八百万の神々の会議が開かれ、思金神が議長になっ て、諸神に指図した。





まず常世の長鳴鳥をたくさん集めて鳴かせ、伊斬許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて八咫鏡(やたのかがみ)をつくらせ、玉祖 命(たまおやのみこと)には八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)つくらせてこれを大榊の枝に飾り立て、ゆらゆらと揺すり、妙なる音を奏でた。すっかり準備が 整うと、天性の美声の持ち主である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が、祝詞を面白おかしく声高らかに奏する。布刀玉命(ふとだまのみこと)は榊の前で 礼拝する。高天原随一の怪力無双の神・手力男命(たじからおのみこと)による岩戸開門の準備は整った。
ここで、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の出 番、空桶を伏せた上で、踊り狂った為、八百万の神々はドッと笑いこけた。不思議に思った天照大神が、私が岩戸に籠っているのに、何故そんなに笑ってられる のかと問われたところ、あなた様より素晴らしい神がお出になられたのです。と言われたので、岩戸を細めに開けたところ、すかさず手力男命が力を込めて開い た為、再び天照大神が現れた。参謀思金神の筋書き通りに進み、作戦は大成功。
その様なお力のある方がだまされるはずがありません。それは八百万の神々の祈りが岩戸に籠ってられる天照大神様に通じ、真剣な祈り心があってこそ成就する ものでなかろうかと思います。当神社は昭和三年白山神社の拝殿として創建され戦前戦後の風雪に耐え当時の氏子達に守られ昭和四十三年頃より周辺の造成により白山神社に合祀され昭和四十 九年思金神社として祀られるようになり今日に到る。
ご祭神
八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)




鳥居




思金神社
ご鎮座地
247-0013 横浜市栄区上郷町745-1


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『古事記』では思金神、常世思金神、『日本書紀』では思兼神、『先代旧事本紀』では思金神、常世思金神、思兼神、八意思兼神、八意思金神と表記する。

高皇産霊尊の子とされるが、常世の神とする記述もある。名前の「おもひ」は「思慮」、「かね」は「兼ね備える」の意味で、「数多の人々の持つ思慮を一柱で兼ね備える神」の意である。思想や思考、知恵を神格化したものと考えられている。「八意」(やごころ)は多くの知恵という意味であり、また立場を変えて思い考えることを意味する。高天原の知恵袋といっても良い存在である。


 「この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」(「邇邇藝命者 此鏡者同我御魂 欲祭此者 當如拜吾前 尊崇而祭之 次 思金神者 取持前事 輔其為政」『古事記』)

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