2012年1月29日日曜日

かんぴょう祭り

和布刈(めかり)神事

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120123-OYT1T00550.htm
豊漁願う和布刈神事…たいまつの下、ワカメ刈る : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout




和布刈神社(めかりじんじゃ)

 和 布刈神事は、第十四代仲哀天皇九年、神社創建以来続いた神事で、発端の古く莊重な事は社殿が渦潮たぎる海峡の景勝地に有る事など、相伴って全国諸神社中有 名な神事である。毎年冬至の日に和布(わかめ)繁茂の祈念祭をもって始まり旧暦十二月一日には松明を作り奉仕の神職は一週間前から別火に入り潔斎を行う、 旧暦正月元旦午前三時頃神職三人は衣冠を正し鎌と桶を持ち松明で社前の石段を照らして下り退潮を追って厳寒の海に入り和布を刈る、これを特殊神饌(福増・ 歯固・力の飯)等の熟饌と共に神前に供えて祭典を行い明け方近くに終わり直会で全ての行事を終る。昔は刈り取った和布を朝廷や領主に献上していた。この地 は神話「海幸、山幸」の由緒を持つ海神より授かった潮干珠、潮満珠を以て海に入ると言われた。和布は万物に先んじて芽を出し自然に繁茂するので幸福発生の 姿有り、又神の依代との考えから是を神前に供え至誠を持って御祭りするのは民族固有の精神習慣によるものと思われる
http://mekarijinjya.jimdo.com/




和布刈神事

2012年1月25日水曜日

福豆準備

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120121/CK2012012102000105.html?ref=rank
中日新聞:福豆準備に追われる 鈴鹿・椿大神社で最盛期:三重(CHUNICHI Web) via kwout

伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた「猿田彦大神」の御神霊を、 人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相 殿として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。
このように社殿創始は垂仁天皇の御宇でありますが、それ以前、悠久の太古、原始人類に信仰の芽生えを見た時、既に大神の尊崇と本社創建の淵源は存したと言わねばなりません。 即ち神話に伝える「天照大神」「猿田彦大神」の時代であります。
天孫「瓊々杵尊」降臨の際、猿田彦大神、天の八衢に「道別の神」として出迎え、風貌雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峰に御先導申し上 げ、肇国の礎を成したこの大神を、後に倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓に「椿(道別)大神の社」として奉斎することになったの は、まことに神慮によるものと言うべきでしょう。http://www.tsubaki.or.jp/yuisyo/


坂越の船祭り

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001201210003
asahi.com:坂越の船祭り国重文答申/赤穂-マイタウン兵庫 via kwout

河勝は、太子亡きあとの皇極3年(644年)蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に八十余歳で没した。 大避神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。


坂越の船祭り

今から300年ほど前の江戸時代初期、大避神社の祭神であった秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったと言われる。 大阪天満宮天神祭、安芸厳島神社管絃祭と並び瀬戸内海三大船祭りの一つとして毎年10月の第二日曜日に行われる。

祭礼第一日目の宵宮は河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われ、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちに よる獅子舞が町内を巡る。 二日目の本宮(神幸式)は午前中から獅子舞の里中奉舞が前日より続く中、海上では櫂伝馬船による漕比べ(花回り)が磯を巡る。正午過ぎに行われる御分霊御 遷祭のあと猿田彦・神楽獅子の先祓いを先頭に頭人番五町による宮出し行列が神社から浜までを下り、浜辺で櫂伝馬船の青年たちによる勇壮な橋板バタ掛けが行 われたあと御神体が神輿船に乗船、一番・二番の櫂伝馬、三番の獅子船、四番から八番までの頭人船、九番の楽船、十番の御神輿船、十一番の警護船、十二番の 歌船からなる和船12隻が船行列を組み、獅子舞や御船歌、雅楽が奏でられる中をお旅所のある生島までを往復する。(海上船渡御) お旅所での神事の終わる夕刻、十数基の篝火が浜で一斉に焚かれる中を高張提灯を灯した船団が再び神社に還幸し宮入鎮座祭のあと一連の祭事が終了する。

坂越の船祭りは和船造船技法(使用する和船は兵庫県有形民俗文化財に指定)をはじめとする伝統的な技術工芸や儀礼・儀式での御歌、雅楽、平成21年 に60年ぶりに復活した船壇尻船の舞台や壇尻囃子などの雅やかな芸能の要素が数多く含まれ、現在でも船渡御の動力は二艘の櫂伝馬船の人力のみで行われてい るなど、古来からの伝承のままを踏襲し行われており、伝統的な儀式として荘厳、華麗、幽玄かつ勇壮という、わが国では他に類をみない祭礼として、平成4年 (1992年)に文化庁から選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され調査が続けられていたが、平成24年(2012年)文化審議会が文部科学相に答申、近く国の重要有形民俗文化財に指定される見通し。指定されれば兵庫県下では7件目、西播磨地域では初の指定となる。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%81%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE

2012年1月21日土曜日

寒修行

こけらぶき屋根

http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20120113000066
建仁寺の方丈、こけらぶき屋根復活へ : 京都新聞 via kwout


こけらぶき
杮葺(こけらぶき)とは、屋根葺手法の一つで、木材の薄板を用いて施工する。板葺(いたぶき)の代名詞にも使われる。

日本に古来伝わる伝統的手法で、多くの文化財の屋根で見ることができる。

広義では板葺の一種であり、板葺は板の厚さにより以下の種類がある。

杮葺(こけらぶき)
最も薄い板(杮板)を用いる。板厚は2~3ミリメートル。

木賊葺(とくさぶき)
杮板よりも厚い板(木賊板)を用いる。板厚は4~7ミリメートル。

栩葺(とちぶき)
最も厚い板(栩板)を用いる。板厚は1~3センチメートル。

大和葺(やまとぶき)
法隆寺金堂の裳階だけに見られる厚い木片を互い違いに重ねた板屋根は、大和葺(やまとぶき)と呼ばれる。

尚、「杮(こけら)」の字と「柿(かき)」の字は非常に似ているが別字である。「杮(こけら)」は「こけらおとし」の「こけら」同様、木片・木屑の意味。ただし、両者は混用された

2012年1月20日金曜日

稲ワラ大蛇

和三盆糖

http://www.wasanbon.co.jp/
阿波和三盆糖製造元 岡田製糖所 via kwout


和三盆(わさんぼん)とは、主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種である。黒砂糖をまろやかにしたような風味を持ち淡い黄色をしている。

三盆の名は精糖工程のひとつから来たもので、高級砂糖を意味する。中国から輸入されていた砂糖を唐三盆と呼び、その後日本でも作られるようになったものを和三盆と呼ぶようになった。

2012年1月19日木曜日

御粥占祭で豊作を祈願 伊弉諾神宮

http://kawarimono.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/01/15/photo_4.jpg
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20120116ddlk28040223000c.html

丑の刻(2時)、寅の刻(4時)、卯の刻(6時)の三度、桃枝の薪で竹筒に入れたお粥を炊き上げます。辰の刻(8時)に本殿に奉り、3本の竹筒から流れ出るお粥の形状により、
この年の作柄を占います。 http://awajinet.sblo.jp/article/42584633.html


太子祭

http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/north/otawara/news/20120110/696634


清く荘厳な別天地に鎮まる大田原の総鎮守
大田原の歴史と文化発祥の大田原神社は、市の中心を流れる蛇尾川の辺、大田原城跡と並ぶ龍体山々上の清く静かな別天地の鎮座する。
緩やかな石段を登りつめ、見下ろせば大田原の町並みが一望に見渡せる。
鳥居をくぐり参道奥へと額ずけば、そこは霊気漂う樹齢百年以上もの杉の古木が生い茂り、その木立に響き渡る小鳥たちの爽やかな囀りで、参拝する人たちを優しく迎えいれてくれる。 栃木県神社庁 http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=708

室町時代の終わり頃から、太子の忌日と言われる2月22日 (旧暦)を「太子講」の日と定め、大工や木工職人の間で講が行なわれるようになった。これは、四天王寺や法隆寺などの巨大建築に太子が関わり諸職を定めたという説から、建築、木工の守護神として崇拝されたことが発端である。さらに江戸時代には大工らの他に左官や桶職人、鍛冶職人など、様々な職種の職人集団により太子講は盛んに営まれるようになった。なお、聖徳太子を本尊として行われる法会は「太子会」と称される。

2012年1月18日水曜日

片江墨つけトンド祭り

尾鷲 ハラソ祭り

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120110/CK2012011002000096.html
中日新聞:豊漁願う日、鯨上がる 尾鷲でハラソ祭り:三重(CHUNICHI Web) via kwout

ハラソ祭りについて 「南輪内村誌」 には次の通り書かれています。

旧暦正月十五日は梶賀浦の御祈祷の日である、延命山地蔵寺では曽 根・古江から伴僧を招いて、大般若経の転読法要を営むのである、此の日海岸には、まん幕を張り廻した船が幾十流の幟や吹流を飾立て、へんぽんと春風に翻し ながら浮んでいる、之れが今日鯨船の祭りに使はれるハラソ船である。昔は赤・黄・青・紫・緑の五色の色とりどり、櫻や牡丹さては菊花或は松竹梅など、花鳥 模様を描いた船を使つていたので、大辺優雅なのであつた、御祈祷が済むと伴僧をハラソ船によつて送って行く。