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いざなぎ流の神楽2



舞神楽は土佐の神楽の内の一つとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

2010年4月29日木曜日

いざなぎ流神楽



いざなぎ流は、陰陽道の要素を含むが、中世の京都で発展した陰陽師の家元である土御門家や賀茂氏とは歴史的な関連性が確認されておらず、土佐国で独自発展した民間信仰である。伝承によれば、天竺(インド)のいざなぎ大王から伝授された24種の方術に基づくとする。法具は無く、儀式の都度にそれに応じた定式の和紙の切り紙(御幣)を使う。民間信仰ではあるが、祭祀の祝詞・呪文は体系化されて定式的に伝承されている。

祭儀は太夫と呼ばれる神職によって執り行われるが、太夫は家元制度や世襲でもなく、特定の教団組織もなく、男女の性別も問わない。地域の中の適格者と認められた人物が膨大ないざなぎ流の祭文と祭礼の様式を伝承する。

春日大社若宮おん祭・細男(せいのお)

春日大社若宮おん祭・細男(せいのお)






寒川神社 田打舞神事(3/3)

平成7年2月17日に行われた、寒川神社 田打舞神事の模様です。(2/3)

1.田打
2.草敷・代ならし
3.種蒔き
4.苗ほめ
5.昼飯
6.田植
7.稲刈り
8.稲叢(いなむら)

寒川神社 田打舞神事(2/3)

平成7年2月17日に行われた、寒川神社 田打舞神事の模様です。(2/3)

1.田打
2.草敷・代ならし
3.種蒔き
4.苗ほめ
5.昼飯
6.田植
7.稲刈り
8.稲叢(いなむら)

 

寒川神社 田打舞神事(1/3)

平成7年2月17日に行われた、寒川神社 田打舞神事の模様です。(1/3)

1.田打
2.草敷・ 代ならし
3.種蒔
4.苗ほめ
5.昼飯
6.田植
7.稲刈
8.稲叢(いなむら)

2010年4月23日金曜日

清明神社 清明祭③

湯立神楽奉納の様子です。

2010年4月22日木曜日

飛鳥坐(あすかにいます)神社 おんだ祭り4/4

飛鳥坐(あすかにいます)神社の奇祭、おんだ祭り


飛鳥坐(あすかにいます)神社 おんだ祭り3/4

飛鳥坐(あすかにいます)神社の奇祭、おんだ祭り

飛鳥坐(あすかにいます)神社 おんだ祭り2/4

飛鳥坐(あすかにいます)神社の奇祭、おんだ祭り

飛鳥坐(あすかにいます)神社 おんだ祭り1/4

飛鳥坐(あすかにいます)神社の奇祭、おんだ祭り

2010年4月21日水曜日

宮崎県高原町 祓川神楽

宮崎県高原町で催された祓川神楽のダイジェスト動画

奈良豆比古神社 翁舞

例年10月8日に行われる奈良市奈良阪町の豆比古(づひこ)神社の翁舞。
夜8時頃から行われる。
現在の翁 舞は式三番といわれるものだそうで、前謡・千歳の舞・太夫の舞
・太夫と脇二人の三人舞・三番叟の前舞・千歳と三番叟の問答・三番叟の
後舞という 構成。


宝生流仕舞 【高砂】

平成21年5月23日(土)福岡宝生会春季謡曲の会


2010年4月20日火曜日

造田神社 釜鳴り神事 神楽

さぬき市、造田神社、釜鳴り神事での、巫女四人による奉納の舞で






神楽獅子と土蜘蛛 (嵯峨野六斎念仏保存会)

---動画説明より---
平成21年8月23日に京都市右京区の阿弥陀寺の地蔵盆に於いて撮影。

昭和58年に民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されている
『嵯峨野六斎念仏保存会』のもので、 18演目の最終演目。アクロバティ
ックな神楽獅子と、蜘蛛の糸を撒き散らす土蜘蛛の精との対決を抜粋。


2010年4月19日月曜日

木積神社 祭礼

5月1日、京都府与謝野町の木積神社で祭礼が執り行われ、およそ300年前
から受け継がれる伝統行事「太刀振 り」が奉納されました。本殿での神事に引
き続き、境内では神楽が奉納され、次いで太刀振りの奉納が始まります。

能 (観世流)  井筒

能 (観世流) 「井筒」
文化デジタルライブラリー 平成18年11月11日 国立能楽堂




『井筒』 (いづつ) は、能を代表する曲の一つであ る。世阿弥作と考えられ、
世阿弥自身が申楽談儀で、この曲を「上花也」(最上級の作品である)と自
賛するほどの自信作であった。若い女性をシテ とした、序ノ舞を舞う大小も
のである。

壱岐神楽

---動画紹介より---
九州の北、対馬海峡に浮かぶ壱岐島に伝わる神楽です。神職自らが舞う、特徴
ある神楽です。壱岐の住吉神社で行われたもので、四本幣舞、二弓舞、猿田彦
舞、天宇豆女舞を収録。

2010年4月18日日曜日

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の八 天の岩戸

---動画説明より---
平成21年11月16日 津野町 高野 三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野山古式神楽
この「天の岩戸」は、前に舞われる「手草」と連続して観る必要ありますが、面舞のみ
ップということで、「手草」の舞終わり部分から、ラスト迄。「其の一」で一部紹介
済みでダブりますが、この神楽の大事な舞であると思い、全舞をアップします。
追記、津野山古式神楽は、三嶋神社の他に、北川地区の河 内五社神社、芳生野地区の諏
神社で、日時を違えて、奉納されているとのこと。特に諏訪神社では、17演目全てを
通しで約8時間掛けて、舞うそうです。

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の七 鬼人退治 後編

---動画説明より--- 
平成21年11月16日 津野町高野三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野山古式神楽 
其の七は、鬼人退治の後編。建御名方神と建御雷命神の掛合から始まりラスト迄。
独特のはやしは、ロックのリズムに相通じるものが、あるとパンフレットに記述さ
れています。舞人と大太鼓との呼吸が、ピタリと合い舞うこの「鬼人退治」、スト
ーリーが観て分かり、また真剣?を自在 に操り、切るしぐさにもハットする迫力を
感じ見応え十分です。
津野町や津野山古式神楽、高野農村歌舞伎が分かるサイトを紹介しておきます。
http://www.mantentosa.com/sightseeing...

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の六 鬼人退治 前編

---動画説明より---  
平成21年11月16日 高知県高岡郡津野町 高野三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野
山古式神楽 其の六は、「鬼人退治」前編。18分超の神楽で、前編は始めを少しカッ ト
鬼人を退治するまで。説明は平成6年3月に、旧東津野村教育委員会が編集発行された
津野山古式神楽のパンフレットにある「鬼人退治」の説明文を和文、英文記載通りに下
記に引用させて頂きます。
12.鬼人退治(面舞二人毎)
この舞は古事記に出てくる、大国主命の御子建御名方神と戦われた建御雷命神の神話を
アレンジした舞です。面は建御雷命神は黒色、ひきしまった口元、つり上がった目尻は
動いているようで、建御名方命神は赤色の一般鬼面が使われています。

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の五 恵比須舞

---動画説明より---   
平成21年11月16日 高知県高岡郡津野町高野 三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野山
古式神楽 其の五は、「恵比須舞」。氏子さん達が、釣り糸に、こぞって千円札を、結び
付け、一升瓶を、抱えた女性も釣上げた時は、拝殿の観衆の笑い声も、最高潮。めでたく
大漁と成りました。説明は「山探し」と同じく、平成6年3月に、旧東津野村教育委員会
が編集発行された、津野山古式神楽のパンフレッ トにある「恵比須舞」の説明文を和文、
英文記載通りに下記に引用させて頂きます。
16.恵比須舞(面舞一人舞)
事代主神(恵比須様)の鯛釣りという神話をアレンジした舞で、穏やかな、ほほえみいっ
ぱいの恵比須面をつけ、ユーモラスな舞姿は観衆の顔をほころばせます。

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の四 山探し 後編

---動画説明より---
平成21年11月16日 高知県高岡郡津野町 高野三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野山
古式神楽 其の四は、「山探し」後編。アップテンポの軽快な、太鼓お囃子に乗り、巧み
な二刀流使いと、嬉しい表現なのかタンと床板を踏み鳴らし、片足で床板がたわむほど跳
ね踊るなど、見応えのある舞です。「山探し」が何を舞っているか詳しくは、平成6年3
月に、旧東津野村教育委員会が、編集発行された津野山古式神楽のパンフレットにある「
山探し」の説明文を和文、英文記載通りに下記に引用、説明とさせて頂きます。 
10. 山探し(面舞一人舞)
金山彦の使いの神が紛失した宝剣を探し求めて歩くことから始まり、宝剣を見つけて歓喜
と感謝の絶頂のところで舞い終わります。この金山彦の使い神を「山探し」と呼んでいま
す。この舞も面をつけ最初は衣を頭からかむって舞い始めますが、山探しの無表情の面は
「憂 愁」「憤怒」「歓喜」と表情が変わっていくかに見えます。


津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の三 山探し 前編

---動画説明より---
平成21年11月16日 高知県高岡郡津野町高野 三嶋神社 秋の大祭で奉納された津野山
古式神楽 其の三は、「山探し」の前編。

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の二 大蛮

---動画説明より---
平成21年11月16日 高知県高岡郡津野町高野 三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野山
古式神楽其の二は、「大蛮」。「悪魔祓」を舞納めると「ダイバン」登場。ひと舞の後、
初参り(氏子入り)の赤子や幼児を抱いて舞い無病息災を祈願する。その後、一人の神が
再登場、「大蛮」と問答、押合い等して舞う場面は今回カット。その後、待っていた全て
の子供の、無病息災を祈願して、 順次抱いて舞い済すまで。本殿では、七五三の神事も行
われていました。

津野山古式神楽 高野三嶋神社 其の一

---動画説明より---
平成21年11月16日 高知県高岡郡津野町高野 三嶋神社の秋の大祭で奉納された津野山
古式神楽を観てきました。津野山古式神楽は、延喜13年(913)藤原経高が京より津野山
郷(現在の旧東津野村、梼原町)に来国し、開拓を始め三嶋神社を祭り始めた当 時より、
神話を劇化した、神楽を伝えたものと、言い伝えられているとのこと。午前11時前から、
始まった、秋の例祭神事から撮影開始。神事で氏子さんが、「神楽歌」であろうか歌って
いる旋律が、「黒田節」に似ており意外でした。神楽は面舞を主にアップします。其の一
は、三嶋神社周辺や神事の様子、境内にある「高野農村歌舞伎」で有名な「高野の舞台」
から、お神楽は「手草」の次、「天の岩戸」そして、三嶋神社の「御幸」行事の中で、場
所清めのために、踊られる「庭払い」まで。
追記 ビデオの初めに神社全景を南から撮していますが、画面の右奥(境内の東側下奥)
から鳥居下及び左側に旧道が通っているそうで「坂本龍馬脱藩の道」の一部で龍馬も通っ
たかもしれないと思うと、感慨深いです。
上記の「神楽歌」は「越天楽今様」の旋律と似ており、ここで古くから歌われ奉納されて
いるならば、三嶋神社の歴史を感じたことでした。

大山祗神社 野沢の山の神様



大山祇神社は野沢の山の神として広く知られた神様で大久保にあります。遇拝殿がムラのなかにあり、
そこから歩いて一時間ほどの大倉山八合目に本社、山頂に奥の院が祀られています。大山祇の神は山
の神であると同時に水の神でもあるといわれ、山での仕事の安全を守ってくれる大切な神様であると
信じられています。 ---大山祇神社公式HPより---


一生に一度の願いは三年つづけてお参りすれば、どんな願いも聞いてくれるそうです。「野沢の山の
神様」として福島県、新潟、山形県地方からも、信仰が厚いそうです。


御祭神

大山祇命
岩長比売命
木花咲耶姫命


大日霊貴神社(ほひるめむちじんじゃ)大日堂神楽舞 其の①

大日霊貴神社(ほひるめむちじんじゃ)
鹿角市八幡平にある大日堂のお正月の神楽舞です。

大日堂舞楽保存会HP

 

2010年4月17日土曜日

大山祗神社 神楽 火伏の舞

大山祗神社の例大祭に奉納されます神楽 火伏の舞

大山祗神社 神楽 村雲の舞

大山祗神社の例大祭に奉納されます神楽

大山祗神社 神楽 鏡造りの舞

大山祗神社の例大祭に奉納されます神楽 鏡造りの舞

大山祗神社 神楽 大黒の舞

山祗神社の例大祭に奉納されます神楽 大黒の舞

大山祗神社 神楽 破魔矢の舞

大山祗神社の例大祭に奉納されます神楽 破魔矢の舞



大山祇神社

京都御所特別公開 雅楽2

動画紹介より
京都御所特別公開 雅楽
2009年04月29日 — 天皇・皇后両陛下の結婚50周年を記念して京都御所
特別公開が行われ、雅楽が催されました。

京都御所特別公開 雅楽1

動画紹介より
2009年04月29日 — 天皇・皇后両陛下の結婚50周年を記念して京都御所
特別公開が行われ、雅楽が催されました。

2010年4月16日金曜日

静岡浅間神社 降祭

静岡浅間神社の祭事。浅間大神が本社に還幸される。




昇祭 11月3日 16:00

浅間神社の木之花咲耶姫命が賎機山に鎮座する麓山神社の大山祇命(父神)の許へ神幸され、
ご一泊される祭典で、徳川家光公奉納のご鳳輦に浅間大神のご神霊を奉じ、神職・供奉員約
百名が行列を整えて百段を昇り神幸する。


降祭 11月4日 16:00

ご一泊された浅間大神がご本社へ帰られる祭典。昇祭同様ご鳳輦を中心に平安時代の装束に身
を包んだ神職・供奉員が、百段を降り、浅間神社まで神幸する。

五節の舞 其の三

動画紹介より
京都御所特別公開の際の奉納舞。
雅楽の調べにあわせてゆったりと平安時代の雰囲気をあじわえます。

五節の舞 其の二

動画紹介より
京都御所での奉納舞。
雅楽の調べにあわせ、官女の衣装をまとった4人の女性が舞います。

五節の舞 其の一

京都御所での奉納の舞 十二単の女性たちがゆったりと舞います。

2010年4月15日木曜日

静岡浅間神社 稚児舞楽

動画紹介より
静岡浅間神社の稚児舞楽は、静岡県の無形民俗文化財に指定されています。今川義元や
権大納言山科言継や、徳川家 康も観覧した稚児の舞。家康以降は徳川幕府庇護のもと行
われるようになり、稚児は幕臣の子弟が選ばれ、装束類は幕府より下付された。

静岡浅間神社 神楽 剣の舞

動画紹介より
つるぎのまい 京都の吉田神社を起源とする里神楽だという。静岡浅間神社 仲秋管絃祭

高鴨神社 神楽奉納

動画紹介より
奈良の葛城(現、御所市)に鎮座する高鴨神社の献灯祭。09,7.20 19:00~
行われました夜神楽奉納の様子。二つの扇が蝶のように舞う様子が美しいで
す。(雅楽演奏も生です)







静岡浅間神社 仲秋管絃祭 舞楽 胡飲酒(こんじゅ)①

舞楽 胡飲酒(こんじゅ)
胡国の人が酒を飲んで酔い、舞った様子を舞にしたものと伝えられている。
静岡浅間神社 仲秋管絃祭

重岡岩戸神楽「八雲払い」6/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日 
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)



高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると、美しい娘を間にして老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子のアシナヅチとテナヅチであり、娘はクシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)といった。夫婦には8人の娘がいたが、毎年、古志からヤマタノオロチがやって来て娘を食べてしまった。今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメも食べられてしまうので泣いているのであった。
スサノオは、クシナダヒメを妻としてもらいうけることを条件に、ヤマタノオロチ退治を請け負った。まず、スサノオはクシナダヒメを隠すため、彼女を 櫛に変えて自分の髪に挿した。そして、アシナヅチ・テナヅチに、強い酒(八塩折之酒)を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒 桶を置くようにいった。準備をして待っているとヤマタノオロチがやって来た。オロチは8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。オロチが酔っ てその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣を抜いてオロチを切り刻んだ。
尾を切り刻んだとき剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
ヤマタノオロチを退治したスサノオは、櫛として髪に挿していたクシナダヒメを娘の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の須賀の地へ行き、そこで「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。


日本神話においてスサノオが詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」が日本初の和歌とされることから、和歌の別名ともされる。
また、上記の歌に因んで「八雲立つ」・「八雲さす」は出雲にかかる枕詞となっており、八雲は出雲国を象徴する言葉となっている。

2010年4月11日日曜日

重岡岩戸神楽「八雲払い」5/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

重岡岩戸神楽「八雲払い」4/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

重岡岩戸神楽「八雲払い」3/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

重岡岩戸神楽「八雲払い」2/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

重岡岩戸神楽「八雲払い」1/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日 
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

 

重岡岩戸神楽「岩戸開き」2/2

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「岩戸開き」 2009年7月26日
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

重岡岩戸神楽「岩戸開き」1/2

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「岩戸開き」 2009年7月26日 
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)

櫟木神楽座「戸開」3/3

櫟木神楽座(大分県由布市)による「戸開」 2009年11月3日 庄内神楽祭
りにて(大分県由布市庄内神楽殿)

 

櫟木神楽座「戸開」2/3

櫟木神楽座(大分県由布市)による「戸開」 2009年11月3日 庄内神楽祭
りにて(大分県由布市庄内神楽殿)


2010年4月10日土曜日

櫟木神楽座「戸開」1/3

櫟木神楽座(大分県由布市)による「戸開」 2009年11月3日 庄内神楽
祭りにて(大分県由布市庄内神楽殿)

浦安の舞(富士山本宮浅間大社)下

雅楽(ががく)・舞楽(ぶがく) 観世流能(かんぜりゅうのう)奉納富士山本宮浅間大社で毎年桜花祭に
合わせて奉納してい ます。舞の演目は、浦安の舞(うらやすのまい)--動画説明より--




Wikiより
1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨
時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を 新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の
楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。

1933年(昭和8年)の昭和天皇御製
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

が神楽の歌詞となっている。

皇紀二千六百年奉祝臨時祭に合わせて奉奏するために日本全国で講習会が開かれ、海外鎮座の神社で
も奉奏されるべく朝鮮・台湾などの外地へも講師が派 遣された。奉祝会当日午前10時には全国一斉
に奉奏された。以降各神社で舞われるようになり、現在に至っている。

明治以降整備されてきた神社祭祀制度には女性による奉仕に関する規定が無かったが、舞の制定によ
り女性が神社に奉仕する機会が作られた。また全国規 模の講習会と奉奏の徹底は神社における神楽舞
の普及に大きく貢献した。

尚、浦安の舞などの近代に作られた神楽は国風歌舞や舞楽、神楽舞を下地に創作されたものであり、
広義では雅楽の延長線としても捉え られているが、神社祭祀に特化した新たな創作神楽であることか
ら、狭義では雅楽と明確に区分される。特に作曲・作舞した多忠朝は、日本神話を根拠とする神楽舞
の重要性、日本文化に於ける神楽の独自性を主張している。


富 士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)映像 | 古の百景
浦 安の舞(富士山本宮浅間大社)上 | 古の百景

浦安の舞(富士山本宮浅間大社)上

雅楽(ががく)・舞楽(ぶがく) 観世流能(かんぜりゅうのう)奉納富士山本宮浅間大社で毎年桜花祭に
合わせて奉納してい ます。舞の演目は、浦安の舞(うらやすのまい)--動画説明より--



富 士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)映像 | 古の百景
浦安 の舞(富士山本宮浅間大社)下 | 古の百景

2010年4月5日月曜日

北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)

大鳥居
大鳥居 posted by (C)散歩日和

ご祭神
木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)※[別称]木花咲耶姫命
瓊々杵尊(ににぎのみこと)※[別称]彦火瓊瓊杵命
大山祇神(おお やまつみのかみ)※[別称]大山積神

ご由緒
社伝によれば、景行天皇40年(110年)日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に
富士山を遥拝し、「富士には北側より登拝するのが良い」として、祠と鳥居を建てたのに始まる
とされる。また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって
火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)甲斐守紀豊庭が現在地に
社殿を造営する。元和元年(1615年)谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(
1688年)に社殿が造修される。一時荒廃していたが、享保年間になり、富士講の行者であった村
上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集める。

やまなし観光ねっとHPより
そびえたつ富士山を背に諏訪の森に鎮座しており、冨士のお山開きは神社の鳥居に張られた注連縄
を切らなければ始まらず、またお山じまいの火祭りは神社の秋 祭りであるというように富士山と北
口本宮冨士浅間神社とは深く強いもので結ばれています。
祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)彦 火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと、大
山祇命(おおやまづみのみこと)です。現在の本殿は1615年(元和元年)に再建、1688年(貞享5
年)に社殿を造修、本社殿は桃山時代の高荘な建造物として重要文化財に指定されています。





2010年4月2日金曜日

三千院門跡(さんぜんいん)

魚山三千院門跡 (ぎょざんさんぜんいんもんぜき)

大原三千院
大原三千院 posted by (C)wa



山号は魚山。天台五箇室門跡の一つで、最 澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を
建立したのが起こり。宸殿前に広がる苔の密生した樹林 の庭を有清園といい、藤原時代を代 表する往生
極楽院(重文)が建つ。内陣に珍しい大和座りの両脇侍の阿弥陀三尊像(国宝)を安置。



三千院001
三千院001 posted by (C)Garth




三千院門跡
三千院門跡 posted by (C)Eureka




梶井門跡
三千院は、また梶井門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありましたが、中世以降、大原魚山の来迎院、
勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に 政所を設けたのが前身です。明治になって三千
院と公称するようになりました。

三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。その 都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿とされたのでしたが、明治維新 までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室さ れ梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の 天台座主を輩出してきました。

神宮大麻奉斎PRビデオ 伊勢神宮式年遷宮広報本部

伊勢神宮式年遷宮広報本部による神宮大麻奉斎PR映像



神宮大麻奉斎PRビデオ

2010年4月1日木曜日

曹洞宗大本山永平寺(えいへいじ)

曹洞宗大本山永平寺        山号 吉祥山(きちじょうざん)

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IMG_8662DPP posted by (C)ぷ。









道元(どうげん)禅師

諡号 仏性伝東国師、 承陽大師


建暦3 年(1213年) 比叡山にいる母方の叔父良顕を訪ねる。
建保2 年(1214年) 天台座主公円について出家し、仏法房道元と名乗る。
建保3年(1215年)  三井寺の公胤の 元で天台教学を修める。
建保5年(1217年)  建仁寺にて栄西の 弟子明全に 師事。
天福元年(1233年)   京都深草に興聖寺を開く。
寛元元 年(1243年)  7月 越前国の地頭波多野義重の招きで越前志比荘に移転。
寛元2年(1244年)  傘松に大佛寺を開く。
寛元4年(1246年)  大佛寺を永平寺に改め、号も希玄と改める。
宝治2~3年(1248-49年) 執権北条時頼、波多野義重らの招請により鎌倉に 下向する。
建長5 年(1253年)   病により永平寺を貫首を、弟子孤雲懐奘(『正法眼蔵随聞記』を編す)に譲り、
  俗弟子覚念の屋敷(京都高辻西洞院)で没す、享年54(満53歳没)。




仏殿    別名 
覚王宝殿(かくおうほうでん)
永平寺(福井県吉田郡永平寺町)
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