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2010年4月12日月曜日

重岡岩戸神楽「八雲払い」6/6

重岡岩戸神楽保存会(大分県佐伯市)による「八雲払い」 2009年7月26日 
福良天満宮夏祭りにて(大分県臼杵市)



高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると、美しい娘を間にして老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子のアシナヅチとテナヅチであり、娘はクシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)といった。夫婦には8人の娘がいたが、毎年、古志からヤマタノオロチがやって来て娘を食べてしまった。今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメも食べられてしまうので泣いているのであった。
スサノオは、クシナダヒメを妻としてもらいうけることを条件に、ヤマタノオロチ退治を請け負った。まず、スサノオはクシナダヒメを隠すため、彼女を 櫛に変えて自分の髪に挿した。そして、アシナヅチ・テナヅチに、強い酒(八塩折之酒)を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒 桶を置くようにいった。準備をして待っているとヤマタノオロチがやって来た。オロチは8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。オロチが酔っ てその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣を抜いてオロチを切り刻んだ。
尾を切り刻んだとき剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
ヤマタノオロチを退治したスサノオは、櫛として髪に挿していたクシナダヒメを娘の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の須賀の地へ行き、そこで「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。


日本神話においてスサノオが詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」が日本初の和歌とされることから、和歌の別名ともされる。
また、上記の歌に因んで「八雲立つ」・「八雲さす」は出雲にかかる枕詞となっており、八雲は出雲国を象徴する言葉となっている。

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