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2010年4月5日月曜日

北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)

大鳥居
大鳥居 posted by (C)散歩日和

ご祭神
木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)※[別称]木花咲耶姫命
瓊々杵尊(ににぎのみこと)※[別称]彦火瓊瓊杵命
大山祇神(おお やまつみのかみ)※[別称]大山積神

ご由緒
社伝によれば、景行天皇40年(110年)日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に
富士山を遥拝し、「富士には北側より登拝するのが良い」として、祠と鳥居を建てたのに始まる
とされる。また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって
火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)甲斐守紀豊庭が現在地に
社殿を造営する。元和元年(1615年)谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(
1688年)に社殿が造修される。一時荒廃していたが、享保年間になり、富士講の行者であった村
上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集める。

やまなし観光ねっとHPより
そびえたつ富士山を背に諏訪の森に鎮座しており、冨士のお山開きは神社の鳥居に張られた注連縄
を切らなければ始まらず、またお山じまいの火祭りは神社の秋 祭りであるというように富士山と北
口本宮冨士浅間神社とは深く強いもので結ばれています。
祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)彦 火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと、大
山祇命(おおやまづみのみこと)です。現在の本殿は1615年(元和元年)に再建、1688年(貞享5
年)に社殿を造修、本社殿は桃山時代の高荘な建造物として重要文化財に指定されています。






湧水


北口本宮冨士浅間神社境内空間の変遷過程





富士吉田市歴史民俗博物館
〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田 2288-1
TEL:0555-24-2411 FAX:0555-24-4665

富士吉田市歴史民俗博物館 公式HP
指定文化財一覧

国/建 北口本宮冨士浅間神社東宮本殿 明40/8/28 上吉田5558
国/建 北口本宮冨士浅間神社本殿 昭28/3/31 上吉田5558
国/建 北口本宮冨士浅間神社西宮本殿 昭28/3/31 上吉田5558

県/無 北口本宮冨士浅間神社の太々神楽 平4/6/22 上吉田5558

県/建 北口本宮冨士浅 間神社の拝殿/幣殿 平21/2/16 上吉田5558
市/建 北口本宮冨士浅間神社神楽殿 平16/3/25 上吉田5558
市/建 北口本宮冨士浅間神社手水舎 平16/3/25 上吉田5558
市/建 北口本宮冨士浅間神社社務所 附棟札一枚 平16/3/25 上吉田5558
市/建 北口本宮冨士浅間神社随神門 附棟札一枚 平16/3/25 上吉田5558
市/建 北口本宮冨士浅間神社摂社福地八幡社
附棟札二枚
平16/3/25 上吉田5558
市/建 北口本宮冨士浅間神社摂社諏訪神社拝殿 平16/3/25 上吉田5558

市/絵 北口本宮冨士浅間神社本 殿絵馬五面 付、絹本著色富士山北面図 平14/11/29 上吉田5558

市/天 北口本宮冨士浅間神社の スギ 平4/9/1 上吉田5558

市/天 北口 本宮冨士浅間神社のヒノキ 平4/9/1 上吉田5558


北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社 posted by (C)cielo blu♪


北口本宮冨士浅間神社 - 23
北口本宮冨士浅間神社 - 23 posted by (C)pismo


北口本宮冨士浅間神社 西宮本殿
北口本宮冨士浅間神社 - 06
北口本宮冨士浅間神社 - 06 posted by (C)pismo


ご祭神 天照大神、豊受大神、琴平大神
文禄3(1594)年、谷村城主浅野左衛門佐氏重により東宮に替わる本殿として建立されたが、元和元
(1615) 年、鳥居成次の本殿建立により現在地に移され西の宮となった。その後享保19(1734)年、
村上光清により大修理が行われた。

全体の形式は東宮と同じ一間社流造(いっけんしゃながれづくり)であるが、両側面と背景は二間で
一間の向拝をつける。身舎全面と側面には刎高欄(はねこう らん)付きの縁を回し、全面には登高欄
付の七段の階をもうけている。身舎は床下八角の丸柱、向拝は面取りの角柱で頭貫中央に蟇股(かえ
るまた)を置き、木 鼻には獅子と獏の彫刻を置く。蟇股、木鼻には極彩色が施され、細部に渡って装
飾、飾り金具が用いられているが、向拝柱の飾り金具には村上光清の紋である卍 と藤の紋がつけら
れているので光清修復の時のものであろう。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、二重軒(ふたのき)付で破風
に鏑懸魚(かぶらげぎょう)をつけて いる。全体に華麗な桃山前期の建築意匠を伝え、荘厳な本殿建築
に向っての流れを感じさせるものである。昭和39(1964)年解体修理を行った。(社伝資料より)

北口本宮冨士浅間神社 東宮本殿
北口本宮冨士浅間神社 - 04
北口本宮冨士浅間神社 - 04 posted by (C)pismo

ご祭神 天津日高彦火火出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)

富士権現とも呼ばれた。貞応2(1223)年、北条義時の創建とも伝えられるが、現 在社殿は永禄4
(1561)年武田信玄が川中島合戦の戦勝祈願して浅間本社として造営したものである。
その後文禄3(1594)年に、浅野氏重、元和元(1615)に鳥居成次が修理し、さらに慶安2(1649)年
と延宝6(1678)年には秋元氏、享保 19(1734)年には村上光清による修理が加えられた。

本殿は身舎梁間一間、桁行一間で全面に一間の向拝をつける一間社流造(いっけんしゃながれづく
り)の形式である。柱は床下部八角の丸柱を用い、高欄を回した縁と登高欄(のぼりこうらん)付五
段の階を持つ屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、身舎から、そのまま向拝まで延び、破風には鏑懸魚(
かぶらげぎょう)をつける。

この様式は向拝頭貫の蟇股(かえるまた)の彫刻とともに室町時代の手法を残すものである。外観の
要所に施した装飾には、桃山時代の影響が見られる。向拝柱にある金具の卍は、村上講社の講印で
あり、藤の紋章は、村上家の紋であるので、光清修理の時付けられたものであろう。
昭和27(1952)年解体修理を行った。(社伝より)

北口本宮冨士浅間神社 - 16
北口本宮冨士浅間神社 - 16 posted by (C)pismo


北口本宮冨士浅間神社 - 03
北口本宮冨士浅間神社 - 03 posted by (C)pismo

火祭り



吉田の火祭り(よしだのひまつり)
吉田の火祭り(よしだのひまつり)は、山梨県富士吉田市で行われる祭りである。日本三奇祭の
ひとつ。北口本宮冨士浅間神社と境内社である諏訪神社の鎮火祭で、大松明を燃やす火祭り。
山梨県指定無形民俗文化財。 夏山の富士山登拝の山仕舞いを意味する祭りで、講社でも火祭りま
でに登拝を済ませている。
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の故事にもとづくと言わ れている。かつては旧暦
7月2日に行われていたが、明治期に新暦8月21日から22日に改められ、大正期には8月25日・26
日の両日に改められた。

祭りの運営は北口本宮冨士浅間神社祭典世話係と呼ばれる御師家 や富士講社らの信徒組織を主体と
し、現在では、地元商店や民間企業らも参加している。大松明(結松明)は高さ3メートル程度、マ
ツ・カラマツなどの薪を笹板で囲み荒縄で締めて筒状にしたもので、盆の終わり頃から松明の奉納者
を募集して寄付金を集め職人に依頼して製作する。大松明が上吉田の本町通りに50本程度が掲げられ、
沿道の家々でも門前 に松明を立てる。御師家では屋敷地や白蛇が下る川沿いの草刈りなど清掃作業を
行い、その年に不幸のあった家は、不浄であるとされ、祭りには参加せず(ブクがかかる)、小麦粉
や蕎麦粉などの贈答物(「手間粉」と呼ばれる)を贈る「手間見舞い」が行われ、火祭りの際には親
戚宅などへ宿泊するか(手間に出る)、または手間着を着て自宅での謹慎を行う。

26日 鎮火祭 - 高さ約3mをもの数十本の松明に次々と火が灯される。
27日 すすき祭り                              (Wikiより)

御鞍石(みくらいし)

初申祭(お山開き)

角切り神事

梅若薪能 
真夏の夜のひととき、鼓の音が響き、 深閑とした境内。まさに炎に浮かぶ幽玄な世界です。



北口本宮冨士浅間神社
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北口本宮冨士浅間神社
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北口本宮冨士浅間神社
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北口本宮冨士浅間神社
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北口本宮冨士浅間神社
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「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の御神木
北口本宮冨士浅間神社
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鎮座地
〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5558



大きな地図で見る


Wikiより
同じ富士吉田市下吉田にある小室浅間神社に対して「上浅間」と呼ばれる事があるが、直接的な関係
は無い。富士吉田地域に於いて、この神社が 前述した富士講御師に 依る対外的な信仰を集め、下吉
田の小室浅間は農耕信仰を中心として、地元民の生活に根差した富士山信仰に依る神社であることが、
それぞれの祭儀から伺われ る。

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