魚山三千院門跡 (ぎょざんさんぜんいんもんぜき)
大原三千院 posted by (C)wa
山号は魚山。天台五箇室門跡の一つで、最 澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を
建立したのが起こり。宸殿前に広がる苔の密生した樹林 の庭を有清園といい、藤原時代を代 表する往生
極楽院(重文)が建つ。内陣に珍しい大和座りの両脇侍の阿弥陀三尊像(国宝)を安置。
三千院001 posted by (C)Garth
三千院門跡 posted by (C)Eureka
梶井門跡
三千院は、また梶井門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありましたが、中世以降、大原魚山の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に 政所を設けたのが前身です。明治になって三千
院と公称するようになりました。
三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。その 都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿とされたのでしたが、明治維新 までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室さ れ梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の 天台座主を輩出してきました。
およそ二六〇〇平方米の境内には往生極楽院をはじめ、本尊薬師如来(秘仏)・救世観音・不動明王(伝・慈覚大師作)を祀る宸殿、明治画壇に活躍した下村観 山・鈴木松年・竹内栖鳳・望月玉泉・今尾景年・菊池芳文などの襖絵がある客殿、そして客殿の前には江戸初期の茶人として有名な金森宗和が手がけたと言われ る池泉鑑賞式の庭園・聚碧園、宸殿前の庭園・有清園があり、四季折々の景観を楽しむことが出来ます。
宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」と書かれた伝教大師の言葉が掲げられています。「修行僧は紅葉を見、 青苔に接して、紅葉と和し、青苔に融け、一枚の散る紅葉を青苔とが一つになって同化し、自分の心にとけ込んでいく心境づくりをするのであります」(小堀光 詮門主)。庭は心の修養の道場ということでしょうか。三千院には春の石楠花、初夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の積雪がよく似合います。
三千院 御殿門 posted by (C)さぁちゅん
ご由緒
坂本の梶井門跡は1232年(貞永元年)の火災をきっかけに今の京都市内 に移転した。洛中や東山の各地を転々とした後、1331年(元弘元年)に洛北船岡山の東麓の寺地に落ち着いた。
この地は淳和天皇の離宮雲林院があったところと推定され、現在の京都市北区紫野、大徳寺の南方に当たる。船岡山東麓の梶井門跡は応仁の乱(1467年 -1477年)で焼失し、以後、大原の政所が本坊となった。
この地は淳和天皇の離宮雲林院があったところと推定され、現在の京都市北区紫野、大徳寺の南方に当たる。船岡山東麓の梶井門跡は応仁の乱 (1467年 -1477年)で焼失し、以後、大原の政所が本坊となった。
1698年(元禄11年)、将軍徳川綱吉は当時の門跡・慈胤法親王に対し、御車道広小路に寺地を与え、以後近世を通じて梶井門跡はこの地にあった。寺地は 現在の京都市上京区梶井町で、跡地には京都府立医科大学と附属病院が建っている。
明治維新の際、当時の門跡であった昌仁法親王は還俗 (げんぞく、仏門を離れる)して新たに梨本宮家を起こし、寺町広小路にあった仏像、仏具類は大原の政所に送られた。1871年(明治4年)、大原の政所を 本坊と定め、「三千院」と改称した。「三千院」は梶井門跡の仏堂の名称「一念三千院」から取ったものである。ちなみに「一念三千」とは天台大師智顗(ち ぎ)の『摩訶止観』にある教義である。
大原三千院山門 posted by (C)kyoubaba
三千院 門 posted by (C)鷹山
大原・三千院 posted by (C)wa
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初午大根焚き(はつうま だいこんだき)
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オオハラE(大根焚き) posted by (C)kyoubaba
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080614三千院4 posted by (C)しょう
星供(ほしく)・星祭(ほしまつり)私たちの命が母親の胎内に宿るとき北斗七星などの「本命星」群の星たちのそれぞれの気が集合体となって命を誕生させ、母胎の中で生命が育まれるのです。そ して出生後は「当年星(九曜星)」によってあなた方の運命が年ごとに左右されます。特に保護者の手を離れて独り立ちした後は、いわば人生は自分で切り拓か なければなりません。物事の判断による運の良し悪しはあなた方本人に委ねられるのです。
星を知ることは己れを知ることでもあります。生まれる以前から星に守られていることを感謝し、この身に宿った「本命星群」の星たちを供養すると同時に、今 年のあなたの運勢を左右する「当年星」をも供養することで、厄難消除のみならず開運招福などのお願い事が叶えられるのです。密教では星は仏の顕われである として、曼荼羅図にも描かれています。星供では特に北斗七星が重要視されています。
この星供法要は密教法要で、毎年2月28日の午前11時に金色不動堂の全ての戸を閉め、明かりを遮断し、暗闇の中に蝋燭を灯して大宇宙の星空を密壇の上に 顕現させる法要です。当院には古来より『北斗法』『本命星供私記』『宿曜経』などの星に関する密教のお経が伝わり、鎌倉時代より伝承されています。詳しくは
http://www.sanzenin.or.jp/guide/guide_05.html#hoshimatsuri
緑の床-大原:勝林院 posted by (C)よっちん
窓越しに…-大原:三千院 posted by (C)よっちん
三千院 posted by (C)しげ
三千院にて posted by (C)delth
080614三千院1 posted by (C)しょう
新緑に包まれて…-大原:三千院 posted by (C)よっちん
水の音色-大原:三千院 posted by (C)よっちん
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三千院 posted by (C)しげ
雪景色
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大原三千院 門前 posted by (C)wa
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三千院の抹茶 posted by (C)さと丸
開基は、伝教大師最澄上人で、延暦年間(782~806)の比叡山東塔の南谷に一乗止観院(後の延暦寺)を建てているが、併せて東谷に建てた円融房が三千院の起源とされている posted by (C)kaguyahime
三千院門跡 公式HP
所在地
京都府京都市左京区大原来迎院町540
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