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田の神祭り

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gifu/news/20120209-OYT8T00028.htm
田の神祭りへ神事進む : 岐阜 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout



 【田の神祭り】
田の神祭りは、下呂市森の森水無八幡神社に伝わる静かで雅やかな神事芸能です。
いつ頃から行なわれていたのか不詳ですが、稲の豊作を前もって祝う(予祝ヨシュク)という、中世以来の「田遊び」(田楽)の芸能が、そのもとになっていると思われます。
森水無八幡神社には国指定重要文化財の「木造神像(平安~室町時代)」があるほか、約三百年前の元禄年間(1688~1703)の棟札には、その昔に七堂伽藍(シチドウガラン)の霊場であったとの記録があり、非常に古い神社であることが分ります。
伝承によれば、郡司・田口玄蕃掾(たぐちげんばのじょう)という人物の鎮守の杜であったといわれております。
その後、田口家が二家に分かれ、田口両家と小池家が祭りの中心となって「田の神祭」を主催し、現在に伝えられています。

2012年2月24日金曜日

春会式

http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/p1_0004834112.shtml
神戸新聞|姫路・西播磨|稚児行列華やかに 太子町・斑鳩寺で春会式 via kwout



 聖徳太子の命日の2月22日と翌23日に、法要がおごそかに営まれます。

http://www.town.taishi.hyogo.jp/dd.aspx?menuid=1758

だだおし

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120214/trd12021420290010-n1.htm
春を呼ぶ火祭り「だだおし」開催  奈良・長谷寺 - MSN産経ニュース via kwout


2月8日から7日間行われる法要「修二会(しゅにえ)」の締めくくりとして、2月14日に「だだおし」の儀式が行われます。なお、正式には追難会(ついな え)と呼ばれ、古くは1月1日から7日間、人々の罪・穢れを仏前で懺悔し身も心も清らかになって新年を迎える「修正会(しゅしょうえ)」に続いて、旧正月 14日午後6時頃行われていましたが、近頃は、文化財の保護・防火や遠方からの参詣者の利便等を考慮し、午後4時頃より行われます。

2012年2月21日火曜日

神事「オビシャ」

http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/kikaku/nencyugyozi/kaisetu/obisya.htm

オビシャという名前にはどういう意味があるのでしょうか。「御奉射、御備射、御歩射」などの漢字があてられますが、一説では、馬に乗って矢を射る流鏑馬・騎射に対して、馬に乗らない「歩射」であると考えられています。
白い紙に同心円を描いた一般的な的もありますが、面白いのは、墨で「鬼」の宇を書いた的や、三本足の烏や兎などを描いた的も多いのです。古来、中国や朝鮮 半島、日本では、三本足の烏は太陽を、兎や蛙は月を象徴する動物として描かれてきました。このため、オビシャは、「日射」すなわち象徴的に太陽を射て、新 たな年の活性化を図る行事であったのではないか、とする考え方もあります。
このように、本来は弓矢で的を射る弓神事がオビシャ行事の根幹にあったのですが、次第にその形式が薄れて、単に村人達が寄り合い、会食するだけの行事となっている例も多くみられます。

2012年2月19日日曜日

御頭神事

http://www.kirari1000.com/04570picture/04570y_w3%2008_02_11.jpg

高向区 御頭神事(おかしらじんじ) は、昭和28年5月に県無形文化財の指定を受け、さらに昭和52年5月17日文部省指定 国の重要無形民俗文化財に していされました。昨年まで2月11日に行われておりましたが、本年度より2月第2土曜日に行われることになりました。地方の一地区で行われる”まつり” としては、伝統の古いことはもちろんのこと、その規模の大きいことでも県内では例を見ない、年中行事の一つです。”高向”という地名は非常に古く由緒ある 地名で、平安時代にかかれた和名抄という書物などに。すでに出ており、度会郡十郷の一つで”高向郷”といわれたのに由来しております。伊勢神宮をはじめて お建てになった倭姫命(やまとひめのみこと)が御頭神事のことを書いた倭姫命世紀という書物がありますが、その中に出てくる"御船向田国”というのが”高 向"のことであったといわれます

2012年2月18日土曜日

西浦(にしうれ)の田楽

http://www.at-s.com/news/detail/100097037.html

伝承、伝説によると「養老3年(719)に行基菩薩、この地に来て、正観世音の仏像と数個の仮面をつくり、その年の7月10日より田楽がはじまり今日に及 んだものであると伝えられ、五穀豊穣、無病息災などを祈願する神事です。いまでも参加する能衆の役は代々世襲制で、厳格な戒律が守り継がれています。


http://www.geocities.jp/totoroguide/dengaku/nisiden.html

2012年2月15日水曜日

合掌造りの雪景色

http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/photo/CK2012012802000142.html
中日新聞:合掌の雪帽子 重たそう 南砺・岩瀬家 試験ライトアップ:北陸写真ニュース:北陸中日新聞から(CHUNICHI Web) via kwout


 合掌造りは、茅葺(かやぶき)の叉首構造の屋根が大きな特徴となっており、とりわけ後の時代に建てられたものはその屋根が急勾配になっている。この傾斜は、豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したものと考えられている。現在見られる合掌造りにも切妻屋根のもの(白川村や五箇山に多い)、入母屋屋根のもの(旧荘川村に多い)がある。残存している切妻屋根の家屋については、その方が屋根裏の作業スペースが多く取れるからと指摘されている。また、屋根の勾配を急にしたことは、屋根裏に二層もしくは三層の空間を確保することにつながり、豪雪への対策以外に養蚕業にとっても都合が良いものであった。
茅葺屋根の葺き替えは、30年から40年に一度行われる。また雪が屋根から落ちるときに、茅も一緒に落ちてしまうことがある。このための補修作業は年に1・2度必要となる。茅葺屋根の葺き替えや補修作業では、地域住民の働力提供による共同作業で行われる。この仕組みを結(ゆい)と呼んでいる。

2012年2月14日火曜日

奉納

http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20120130000017
襲名成功へ祈願の舞 中村又五郎さん、八坂神社で奉納 : 京都新聞 via kwout


 三番叟は、もともと能の「翁」を歌舞伎化したものです。翁は神聖な ものとして正月等の晴れの日に上演され、三番叟もその精神を受け継いでいます。 能では 主役でない三番叟を、歌舞伎ではその軽快な動きを舞踊化して主役においています。また、能は静の美を重視するのに対し、歌舞伎では躍動的で、陽気な面を強 調しているところに違いが見られます。
http://www.takacho.jp/chukou/chuko/kabuki/kaisetsu01.htm