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2012年2月24日金曜日

春会式

http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/p1_0004834112.shtml
神戸新聞|姫路・西播磨|稚児行列華やかに 太子町・斑鳩寺で春会式 via kwout



 聖徳太子の命日の2月22日と翌23日に、法要がおごそかに営まれます。

http://www.town.taishi.hyogo.jp/dd.aspx?menuid=1758


斑鳩寺(いかるがでら)

1,400有余年前の推古天皇の時代、聖徳太子が勝鬘経、法華経などを天皇に講じられ、これに御感あった天皇より播磨国の水田を賜り、太子はこれを仏法興隆のため法隆寺に寄進されました。
※『日本書紀』によると、寄進の時期は推古14年(606年)7月、水田の規模は100町、『聖徳太子伝記』では同じく、太子44歳御時、360町とある。諸文献に諸表記がある。

後の平安時代に、この地は法隆寺の荘園「法隆寺領播磨国鵤荘(いかるがのしょう)」へと発展し、その中心に荘園経営の中核的存在として、政所とともに斑鳩寺が建立されました。
この創建以後、鵤の地はながく、この地方の太子信仰の中心としても栄え、播磨の国の中における特異な文化興隆地域を形成することになりました。
斑 鳩寺は、往古には七堂伽藍、数十の坊庵が甍を並べ壮麗を極めましたが、出雲の尼子氏の侵攻で播磨が混乱していた天文10年(1541年)4月7日、不慮の 火災により、諸堂が灰燼に帰しました。その後、楽々山(ささやま)円勝寺の円光院昌仙らによって龍野城主赤松下野守政秀らの寄進を得て、講堂、三重塔、太 子御堂(聖徳殿)、仁王門などの伽藍が復興され、現在に至っています。
斑鳩寺は創建以来、法隆寺の別院でしたが、江戸時代以降は天台宗となり、今なお、「お太子さん」として近郷近在から広く信仰を集めています。
また、木造聖徳太子立像をはじめ、木造日光・月光菩薩立像など多くの重要文化財が残されています。

住 所 兵庫県揖保郡太子町鵤709





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