越前市で継体天皇ゆかり蓬莱祀 粟田部、国選択民俗文化財 催し・文化 福井のニュース :福井新聞 via kwout
http://www.awatabe.com/houraishi3.htm
http://www.awatabe.com/houraishi3.htm
莱祀とは、蓬莱祀(ほうらいし)の略にて、古来邑の一大祭典たりしものをいふ。 里北の三里山を、蓬莱山に見傚(なら)し。その蓬莱山の鎮守もまた、邑の
鎮守たる玉穂宮それと崇め祭り。乃ち(すなわち)この意義より出できたりたる、一の出し物を造り。要は、男大迹皇子潜龍の昔を偲び奉るとゝもに。五穀成
就。國土安全、住民快樂の祈祷をなしたるものなり。 山車物(だしもの)は大體(だいたい)の例によれば。藁二百束ばかりにて高さ殆(だい)一間、周圍
(しゅうい)三丈二尺餘(よ)の圓形(えんけい)臺座(だいざ)を作り。松材なる高二尺ばかりの、鱗形わくゝみ橇臺(そりだい)の上に、据附く。 臺座の
中央には。長四間半の枝ぶりよき栗の木にて、枝一面には、正にこれ櫻花(おうか)の爛マン(火・曼)たるものと見まがふべき、所謂(いわゆる)彼の米花
(まいだま)なるものを、點附(てんぷ)せるもの一本を打立つ。それにはまた、長四間の、鏡竹なるもの一本と。四間半の、幣竹(にぎてだけ)なるもの一本
とを立て添ふ。空の方にて鏡竹は、米花木より二尺高ほどに。幣竹は更に三尺高ほどに、打立つ。鏡竹より、一間ばかり下りたる處(ところ)のめぐりには。串
の餅とて、五十匁量の白餅一箇づゝを、青竹の串の尖(せん)につきさしたもの、二十本を結わえ。青杉葉にて根じめをなす。下には、囃子(はやし)に備へた
る締太鼓一張を結わへ。更に下には、樽づめのまゝなる神酒一升を結ふ。米花木、鏡竹等の正面、臺座の縁なるところには、高五尺ばかりの赤き鳥居を立つ。鳥
居には、玉穂宮と題する扁額をかゝげ、七五三を張る。鳥居の左右より、臺座の縁一面にかけては、松の折枝三十六本を並み立て、七五三にてそれを縫ひめぐら
す。臺座の腰一帯には、九尺四枚の新菰(まこも)をもて飾りめぐらし。上を、いと淸らなる藁縄(わらなわ)にて、ちどりに縫ひかざる。
http://5.real-sound.net/~tetsuyosie/fukui/echizensi/okafuto_awatabe/okafuto_awatabe.html
特殊神事「蓬莱祀(おらいし)」とは、毎年2月11日に行われている山車巡行がメインの神事です。
継体天皇が507年に樟葉宮( 大阪府枚方市) で即位されたことを地元住民が祝って始まった行事といわれ、修羅( 木ぞり) に特大の米俵を台座にして真中に栗の木を立てて、枝には繭玉( 餅花) を付け、御幣、鏡餅、松や杉の枝などで飾りつけた山車を住民が引き回します。山車の町内巡行には、音頭取りと呼ばれる古老の木遣唄 の「皇子ヶ池は枯れるなあ」という声にあわせて、賑やかに進むことでも知られています。
境内に案内のある「花筐ゆかりの地」とは、「継体天皇が即位するため樟葉宮へお立ちになるとき、照日の前に形見に花筐をお渡しになり、その後照日の前は 形見の花筐を持ち都に昇ります。継体天皇が紅葉狩のおり、狂女となり踊り狂っている照日の前娘の姿を目にされ愕然としましたが、その後は都で仲良く暮らし たと言う物語を約600年程前に世阿弥が謡曲「花筐」という作品に仕上げたもの」に由来しますが、地元の方は「継体天皇が照日の前に残されたのは蓬莱山上 付近に咲く薄墨桜で、元々はもっと色濃い花びらだった桜の木が、継体天皇を想う照日の前の暗く寂しい気持ちからだんだん色あせていき、あのように淡い色合 いの桜になったんだそうですよ…。」とおっしゃっていました。
継体天皇が507年に樟葉宮( 大阪府枚方市) で即位されたことを地元住民が祝って始まった行事といわれ、修羅( 木ぞり) に特大の米俵を台座にして真中に栗の木を立てて、枝には繭玉( 餅花) を付け、御幣、鏡餅、松や杉の枝などで飾りつけた山車を住民が引き回します。山車の町内巡行には、音頭取りと呼ばれる古老の木遣唄 の「皇子ヶ池は枯れるなあ」という声にあわせて、賑やかに進むことでも知られています。
境内に案内のある「花筐ゆかりの地」とは、「継体天皇が即位するため樟葉宮へお立ちになるとき、照日の前に形見に花筐をお渡しになり、その後照日の前は 形見の花筐を持ち都に昇ります。継体天皇が紅葉狩のおり、狂女となり踊り狂っている照日の前娘の姿を目にされ愕然としましたが、その後は都で仲良く暮らし たと言う物語を約600年程前に世阿弥が謡曲「花筐」という作品に仕上げたもの」に由来しますが、地元の方は「継体天皇が照日の前に残されたのは蓬莱山上 付近に咲く薄墨桜で、元々はもっと色濃い花びらだった桜の木が、継体天皇を想う照日の前の暗く寂しい気持ちからだんだん色あせていき、あのように淡い色合 いの桜になったんだそうですよ…。」とおっしゃっていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿