田の神祭りへ神事進む : 岐阜 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout
この芸能は、明治初年までは正月十四日に行なわれていましたが、今ではは2月7日から14日までの8日間に亘って祭事が行なわれています。
2月7日は「神主(テテ)頼みの儀」と言い、氏子のなかから選ばれた祭りの神主となる人の家に田口家と小池家の当主、神社の主管者が出向き
、当年の祭礼の神主となることを依頼約束する式日です。
また、9日は注連縄ないの式日、十日は四名の踊り子決定の式日、11日は神主(テテ)披露並びに試楽に式日、12日は「テテ振舞」の式日となっています。
13日夜は、「試楽祭」「斎食の儀」「獅子舞」「禊ぎ」を行ないます。
午後7時になると神主(テテ)は踊り子を従え、田口家両家や補佐人とともに小池家(現在は田の神会館)に赴き、踊り歌を披露します。
午後9時から田口家(現在は田の神会館)で行なわれる「納めの試楽」の際には踊り歌すべてが2時間に渡って行なわれ、白粥の饗応の後、二頭の獅子による獅子舞が奉納されます。
深夜の凍てつく寒さの中、田口家、神主(テテ)、踊り子の順に禊を行います。
その後、0時45分ごろから神社境内にて神主(テテ)と踊り子が田の神祭り独特の舞を披露し、神輿が出されます。
14日は例祭当日、四つ笠組の各笠宿に8時30分に集合し「門出の儀」が行なわれます。
各笠宿から行列を作り下呂温泉合掌村に正午頃までに集合します。
神社でも「官祭の儀」が行なわれます。
正午過ぎから下呂温泉合掌村では獅子舞や禊などが行なわれ、午後1時ごろ踊り子や獅子行列など色とりどりのお祭り衣装を身にまとった約200人の一行が森水無八幡神社に向けて出発します。
森水無八幡神社についた踊り子は、神社東南の祭場で、田口家奉献の「柄鍬(ヒッカ)餅」を棒の先に刺してかつぎ「田の神祭りとなえ詞」に合わせ、農事の所作を繰り返します。
そして「お旅」(祭りの行列が境内を三周する)の後、黄・赤・白の和紙で作られた「花笠」を着用した踊り子が「ささら」(竹を割り刻みを付けたもの)をこすりながら踊ります。この花笠にちなんで、田の神祭りを通称「花笠祭り」とも呼ばれています。
祭りの圧巻は「寄進笠」や「小竹箸(オタケバシ)」「だんご」を観衆の中に投げ入れ、その奪い合いとなる場面です。
その間に踊り子はかぶている笠を懐に納め、「田植え」「稲穂摘み」「穂摺(ホスリ)り落とし」の型を踊り祭場から出て行きます。
この「田の神祭り」の芸能は古式の祭りをそのままに現代に伝えるものであり、祭礼としてだけではなく、重要な無形民族文化財として地域住民らが大切に保護・伝承しています。
【田の神祭り】
田の神祭りは、下呂市森の森水無八幡神社に伝わる静かで雅やかな神事芸能です。
いつ頃から行なわれていたのか不詳ですが、稲の豊作を前もって祝う(予祝ヨシュク)という、中世以来の「田遊び」(田楽)の芸能が、そのもとになっていると思われます。
森水無八幡神社には国指定重要文化財の「木造神像(平安~室町時代)」があるほか、約三百年前の元禄年間(1688~1703)の棟札には、その昔に七堂伽藍(シチドウガラン)の霊場であったとの記録があり、非常に古い神社であることが分ります。
伝承によれば、郡司・田口玄蕃掾(たぐちげんばのじょう)という人物の鎮守の杜であったといわれております。
その後、田口家が二家に分かれ、田口両家と小池家が祭りの中心となって「田の神祭」を主催し、現在に伝えられています。
田の神祭りは、下呂市森の森水無八幡神社に伝わる静かで雅やかな神事芸能です。
いつ頃から行なわれていたのか不詳ですが、稲の豊作を前もって祝う(予祝ヨシュク)という、中世以来の「田遊び」(田楽)の芸能が、そのもとになっていると思われます。
森水無八幡神社には国指定重要文化財の「木造神像(平安~室町時代)」があるほか、約三百年前の元禄年間(1688~1703)の棟札には、その昔に七堂伽藍(シチドウガラン)の霊場であったとの記録があり、非常に古い神社であることが分ります。
伝承によれば、郡司・田口玄蕃掾(たぐちげんばのじょう)という人物の鎮守の杜であったといわれております。
その後、田口家が二家に分かれ、田口両家と小池家が祭りの中心となって「田の神祭」を主催し、現在に伝えられています。
この芸能は、明治初年までは正月十四日に行なわれていましたが、今ではは2月7日から14日までの8日間に亘って祭事が行なわれています。
2月7日は「神主(テテ)頼みの儀」と言い、氏子のなかから選ばれた祭りの神主となる人の家に田口家と小池家の当主、神社の主管者が出向き
、当年の祭礼の神主となることを依頼約束する式日です。
また、9日は注連縄ないの式日、十日は四名の踊り子決定の式日、11日は神主(テテ)披露並びに試楽に式日、12日は「テテ振舞」の式日となっています。
13日夜は、「試楽祭」「斎食の儀」「獅子舞」「禊ぎ」を行ないます。
午後7時になると神主(テテ)は踊り子を従え、田口家両家や補佐人とともに小池家(現在は田の神会館)に赴き、踊り歌を披露します。
午後9時から田口家(現在は田の神会館)で行なわれる「納めの試楽」の際には踊り歌すべてが2時間に渡って行なわれ、白粥の饗応の後、二頭の獅子による獅子舞が奉納されます。
深夜の凍てつく寒さの中、田口家、神主(テテ)、踊り子の順に禊を行います。
その後、0時45分ごろから神社境内にて神主(テテ)と踊り子が田の神祭り独特の舞を披露し、神輿が出されます。
14日は例祭当日、四つ笠組の各笠宿に8時30分に集合し「門出の儀」が行なわれます。
各笠宿から行列を作り下呂温泉合掌村に正午頃までに集合します。
神社でも「官祭の儀」が行なわれます。
正午過ぎから下呂温泉合掌村では獅子舞や禊などが行なわれ、午後1時ごろ踊り子や獅子行列など色とりどりのお祭り衣装を身にまとった約200人の一行が森水無八幡神社に向けて出発します。
森水無八幡神社についた踊り子は、神社東南の祭場で、田口家奉献の「柄鍬(ヒッカ)餅」を棒の先に刺してかつぎ「田の神祭りとなえ詞」に合わせ、農事の所作を繰り返します。
そして「お旅」(祭りの行列が境内を三周する)の後、黄・赤・白の和紙で作られた「花笠」を着用した踊り子が「ささら」(竹を割り刻みを付けたもの)をこすりながら踊ります。この花笠にちなんで、田の神祭りを通称「花笠祭り」とも呼ばれています。
祭りの圧巻は「寄進笠」や「小竹箸(オタケバシ)」「だんご」を観衆の中に投げ入れ、その奪い合いとなる場面です。
その間に踊り子はかぶている笠を懐に納め、「田植え」「稲穂摘み」「穂摺(ホスリ)り落とし」の型を踊り祭場から出て行きます。
この「田の神祭り」の芸能は古式の祭りをそのままに現代に伝えるものであり、祭礼としてだけではなく、重要な無形民族文化財として地域住民らが大切に保護・伝承しています。
とても参考になりました、ありがとうございました
返信削除