2010年4月10日土曜日

浦安の舞(富士山本宮浅間大社)下

雅楽(ががく)・舞楽(ぶがく) 観世流能(かんぜりゅうのう)奉納富士山本宮浅間大社で毎年桜花祭に
合わせて奉納してい ます。舞の演目は、浦安の舞(うらやすのまい)--動画説明より--




Wikiより
1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨
時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を 新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の
楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。

1933年(昭和8年)の昭和天皇御製
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

が神楽の歌詞となっている。

皇紀二千六百年奉祝臨時祭に合わせて奉奏するために日本全国で講習会が開かれ、海外鎮座の神社で
も奉奏されるべく朝鮮・台湾などの外地へも講師が派 遣された。奉祝会当日午前10時には全国一斉
に奉奏された。以降各神社で舞われるようになり、現在に至っている。

明治以降整備されてきた神社祭祀制度には女性による奉仕に関する規定が無かったが、舞の制定によ
り女性が神社に奉仕する機会が作られた。また全国規 模の講習会と奉奏の徹底は神社における神楽舞
の普及に大きく貢献した。

尚、浦安の舞などの近代に作られた神楽は国風歌舞や舞楽、神楽舞を下地に創作されたものであり、
広義では雅楽の延長線としても捉え られているが、神社祭祀に特化した新たな創作神楽であることか
ら、狭義では雅楽と明確に区分される。特に作曲・作舞した多忠朝は、日本神話を根拠とする神楽舞
の重要性、日本文化に於ける神楽の独自性を主張している。


富 士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)映像 | 古の百景
浦 安の舞(富士山本宮浅間大社)上 | 古の百景

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