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2010年2月17日水曜日

蹴鞠はじめ 下鴨神社 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)



蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)のりりん

蹴鞠はじめ
下鴨神社で年明けにおこなわれる神事です。優雅な神事でニュースでも放映されますね。




◎ 各木の高さは約4メートル、地上より約30センチメートルの所で2本に分方れているもの。
◎ 鞠庭の外側に、1~3メートルの空地が必要である。



○ 鞠(まり)の製法
鞠は鹿の皮を2枚円形にして用い、その毛のあるほうを内側にして周りを馬の革で縫い合わせたもので、
小穴より大麦の穀粒を詰め込んで内側から張り膨らませ、十分形を整えた後に、鉛白にて化粧し、穀粒
を抜いてから綴じふさいだものである。
今日のゴムボールのなかった時代に、適度の弾性を持った鞠を巧に作っていた事実は、日本人の手仕事
の繊細さと驚くペき器用さを知実に物語っていると言えよう。
蹴鞠が隆盛普及するに及んで、『御鞠師』と称する家業が成立し、代々その技術は継承研磨され、その
丹精を込めた作品は、全く1個の美術品と思うほどの逸品も少なくなかったもようである。 また、金
銀・紅白などに塗装して、専ら書院の床の間を彩った『飾鞠』も多く作られた。



○ 鞠 装 束
古くは平常に着用した装束、即ち直衣・束帯・衣冠・狩衣・水干.道服などのままで行われたが、後鳥
羽天皇の時代から、鞠専用のものが定められた。
上衣の方を『鞠水干』と言い、金紗、紋紗・繍・摺箔・布羅・絹もじなど、多彩な種類があり、色は香
・紫・玉虫、柄も大鳥・鳳凰など、階級によって種々の色目がある。
下衣を『鞠袴』と言い、葛布を用いる。これにも種々の色目があり、摺箔・色無地・下濃・片身替など
があり、染め色にも萌黄(萌葱)・朽葉・蘇芳・紫・桔梗・柿・浅葱など、また、裏地の色も表地の色
と同-、あるいは さしぬ白や全く異なった色もあり、それぞれに定めがある。仕立ては、指貫仕立て
の括り袴である。
『烏帽子 えぼし』は、立烏帽子・風折鳥帽子・侍鳥帽子などを用いるが、懸緒については特に厳しい
定めがあり、勅許を得ないとかけられなかったものもある。
『沓 くつ』も古くは平常の物を用いたので、時には脱げ落ちたこともあったが、『鞠沓』として定め
られたものは、沓と(しとうず=靴下・足袋)とを縫い付けた鴨沓と言われるもので、これは加茂の懸
主松下が初めて用いたとも、また、沓の形から生じた名称とも書のれている。
(*「色目」については、附記「段投級別色目表」を参照の事)

○ 一座の人数と鞠足の位置
鞠を蹴る人を『鞠足』とううが、蹴鞠を行う鞠足の人数は普通8人または6人で-座を組む。鞠足たちは
鞠庭を8または6方位に分けた位置に立つ。これを八境と言って、南面の鞠庭で北西の位置を「一」の懸
かりまたは「軒(のき)」と言い、以下、南東を「二」、北東を「三」、南西を「四」と言い、この4人
の鞠足が軸となって鞠を蹴る。「五」以下の者は「つめ」と言い、外れた鞠を蹴り戻す役目をする。

初め『小鞠』と言って足馴らしをして後「軒」(-)からあげ鞠を始め、最後は「二」から「軒」に渡し
て一座を終わる。1座に要する時間はその時の状況にもよるが、およそ15分から20分ぐらいでしばらく
休息を取り、次の座(二座)に移る。興が進むと、三座、四座というように鞠足のメンバーを替えて蹴
る。正式の蹴鞠会では「見証」の座が設けられ、蹴鞠の状況がつぶさに記録される。また、神前や仏前
などで蹴鞠を行う時は、事前に『枝鞠』と言って鞠を枝に付け祈念した後、鞠庭で『解鞠(ときまり)』
の儀式をしてから始める。

○ 蹴鞠の本質
スポーツには古くから数多くの種類があり、現代にもボールを扱う競技は実に多様であるが、この蹴鞠が
他と全く異なる点は勝敗を争うものではなく、「無勝負である」という点ではないだろうか。相手より技
術が優れているとか、相手を負かしたという優越感で興味をつなぐものではなく、決して人をやり込めた
り、損なうようなことの無い、むしろ、「上手な人は蹴りやすい鞠を相手に与える」という点が『蹴鞠の
道』とされている。この無勝負ということは、-見興味の薄い無刺激なものと誤解され易いが、実は他に
全く類例のない特徴であって、勝負がないにもかかわらず、勝敗以上の尽きることのない津々たる興味が
湧き出るところに蹴鞠の誇りがある。

蹴鞠は、一座の鞠足が階級は勿論、技の巧拙を問わず全く一心同体となって、一つの鞠を落とさぬよう、
良い鞠を蹴り渡すように最善を尽くし、その技量・体力に相応じた理想的な平等和楽の実を結ばんとする
ものである。もともと鞠庭に立つことは、神仏に合掌する時の心境であり、鞠庭を『鞠懸かり』、式木を
『懸かりの木』と称えることもこの意味であり、鞠を蹴ることによって天下泰平・五穀豊穣・心身の強
健・一家の繁栄平和を祈念するものである。

蹴鞠の道が、前述のように干数百年の長い間、連綿として行われたことは、ただ優雅高尚な趣味であるば
かりでなく、優れたしかもこの尽きない充実した内容を持つがためではないかと考えるわけである。

特に、鳥羽天皇の時代(1107~1122年=平安後期)に大納言藤原成通という希代の名人が現れ、1000
日の鞠が成就した時、夢に3匹の神猿が現れ、この御神名が鞠を蹴る時の掛け声になったと伝えられてい
る。また、この時代に蹴鞠の守護神として精大明神が祭祀され、現在、大津の平野神社と京都の白峯神宮
内に鎮座されている。

--蹴鞠保存会HPより--
蹴鞠保存会









蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)のりりん



蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)のりりん

蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)のりりん

蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)のりりん

蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)のりりん

蹴鞠会場
蹴鞠会場 posted by (C)のりりん

蹴鞠
蹴鞠 posted by (C)みほ

蹴鞠2
蹴鞠2 posted by (C)めーちゃん


蹴鞠1
蹴鞠1 posted by (C)めーちゃん


鞠の入場
鞠の入場 posted by (C)のりりん

鞠
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神職
神職 posted by (C)のりりん





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