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2011年4月6日水曜日

天宮神社 十二段舞楽


静岡県神社庁
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4410002



天宮神社HP
http://www7b.biglobe.ne.jp/~amenomiyajinnjya/index.html
ご由緒
当神社は第29代欽明天皇の頃(約1500年前)に小碓命(日本武尊)の後裔太田の君、
守屋の君の氏族が先祖の遺跡を訪ねてこの地を開き、筑紫の国宗像の御神霊を迎え大氏
神として鎮斎せられたのに始まります。
文武天皇慶雲2年勅願により社殿等の造営がなされ、その折京都から藤原綾足が神官
として赴任し京都の楽人により舞楽が奉納されました。以来十二段舞楽は今日まで連綿
と伝承されてきています。
神社・社殿は、室町時代に焼失し、一時衰退をしましたが、徳川家康公によって社殿
が造営され、その後修営にあたって、遠州横須賀城主の隠岐守西尾忠成公を奉行に幕府
の直参棟梁の甲良豊前宗賀によって完成したのが現在の社殿であるといわれています。



十二段舞楽
天宮神社の十二段舞楽(あめのみやじんじゃのじゅうにだんぶがく)は、静岡県周智郡森町天宮に伝わる民俗芸能の舞楽。東海地方に伝承されている地方化された舞楽の一つで、4月の第1土曜日と日曜日に演じられる。

天宮神社の拝殿前にある高欄つきの舞楽殿が舞台となり、舞人は稚児4人、15歳前後の少年、大人11人で、囃子には大太鼓・鉦・鼓・笛が付く。曲目は「延舞」「色香」「庭胡蝶」「鳥名」「太平楽」「新靺鞨」「安摩」「二の舞」「陵王」「抜頭」「納曽利」「獅子」の12曲である。

1976年(昭和51年)12月25日記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択され、1982年(昭和57年)1月14日には、山名神社天王祭舞楽および小国神社の舞楽とともに遠江森町の舞楽として重要無形民俗文化財に指定された。Wikiより




《歴史》
慶雲2年(705年)に勅願による社殿の造営があり、その折、京都から藤原綾足が神官として赴任し、京人に依って奉納舞楽が行われました。
応仁・文明の乱、地方の戦火の時代に神社の祭祀が途絶えましたが、天正18年(1583年)に再開されて以後、明治維新の変換の時代にも耐え、例祭時に連綿と伝承保存されてきました。
《形態》
この舞楽は宮中・伊勢神宮・四天王寺等のものとは異なり、祭りの庭の芸能的な素朴な赴きの特色を有し、他所では見られぬ形態であります。
一宮の小國神社の舞楽と天宮神社の舞楽は、中央の舞楽で言う左方の舞と右方の舞を演目で区別するというよりも、小國神社は赤の衣装を主とし早いテンポで男性的に舞い、、天宮神社は青の衣装でゆったりとしたテンポで優雅に舞う違いを持ちながら、二社一体の関係で
成立しています。
《演目》延舞・色香・底胡蝶・鳥名・太平楽・新靺鞨・安摩・二の舞・陵王・抜頭・納曾利・獅子




天宮神社十二段舞楽 客神の足跡さんのHPに詳しくでてます。


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