現在の祭神は、白山比咩神社社蔵の『神社明細帳』(明治初年)により、白山比咩大神(白山比咩神)、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナミ)の三神を祀る。一般には白山(しらやま)さん・白山権現などともいわれる。
創建は崇神天皇の頃とされる。元来は現在の加賀一の宮駅に隣接する古宮公園(安久濤ヶ淵に面する)の場所にあったが、文明12年(1480年)の火事の為に末社の三宮の位置(現在地)に遷座した。奥宮は、白山山頂の御前峰にある。
祭神 菊理媛尊(=白山比咩大神)
日本には、『古事記』や『日本書紀』といった奈良時代初期に完成した古い歴史書に見られる神々を祭神とする神社が数多く存在します。全国約三千社にのぼる白山神社の総本宮である白山比咩神社の祭神「白山比咩大神(=菊理媛尊)」も『日本書紀』に登場する女神のひとりです。
『日本書紀』によると、天地が分かれたばかりのころ、天の世界である高天原(たかまのはら)に、次々と神が出現し、最後に現れたのが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)でした。この男女の神には、国土を誕生させる「国生み」と、地上の営みを司る神々を誕生させる「神生み」が命じられました。
伊弉冉尊が火の神を出産した時のやけどで亡くなってしまうと、悲しんだ伊弉諾尊は、死の国である「黄泉の国」へ妻を迎えにいきます。ところが、醜く変わった妻の姿を見て伊弉諾尊は逃げ出してしまい、怒った伊弉冉尊は夫の後を追います。
黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の仲裁をし、その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)が生れます。
白山比咩神社では、菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊も祭神として祀られています。菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、現在は「和合の神」「縁結びの神」としても崇敬を受けています。(白山比咩神社HPより)
今からおよそ一三〇〇年前。白山の山頂に初めて登ったのが、越前(現在の福井県)の偉い僧で泰澄(たいちょう)という人です。
泰澄は白山麓の舟岡山にある「妙法の窟」にこもって修行し、次に手取川の「安久濤(あくど)の淵」で一心にお祈りをしていました。すると、白い馬に乗った 白山比咩大神が現われ、泰澄に「私は白山に住んでいる女神です。私の本当の姿を見たいと思うなら、白山の頂上へおいでなさい」と告げられました。
泰澄は川を渡り、岩を登り、木の根・草の根を踏み分けてそれまで誰も登ったことがなかった白山に登り、頂上付近の「転法輪(てんぽうりん)の窟」で行を重ねました。
そこへ、翠ヶ池のほとりから九つの頭を持った竜がおどり出してきました。泰澄は「このような恐ろしい竜が白山の神さまの本当の姿とは思えない。これは仮の姿だ。真のお姿をお見せください」と念じると、竜は十一面観世音菩薩に姿を変えました。
泰澄は、「これぞ、まことの白山の神様のお姿にちがいない、ありがたい」と伏して拝まれました。そして、目に焼き付けた十一面観音菩薩を木像にきざまれて、白山の頂上にお祀りしたということです。
翠ヶ池は、別の名を「仏ヶ池」とも言い、岐阜県の方では、この池の水を霊水として多くの人々が壷に入れて持ち帰り、利用していました。
白山の伝説より泰澄は白山麓の舟岡山にある「妙法の窟」にこもって修行し、次に手取川の「安久濤(あくど)の淵」で一心にお祈りをしていました。すると、白い馬に乗った 白山比咩大神が現われ、泰澄に「私は白山に住んでいる女神です。私の本当の姿を見たいと思うなら、白山の頂上へおいでなさい」と告げられました。
泰澄は川を渡り、岩を登り、木の根・草の根を踏み分けてそれまで誰も登ったことがなかった白山に登り、頂上付近の「転法輪(てんぽうりん)の窟」で行を重ねました。
そこへ、翠ヶ池のほとりから九つの頭を持った竜がおどり出してきました。泰澄は「このような恐ろしい竜が白山の神さまの本当の姿とは思えない。これは仮の姿だ。真のお姿をお見せください」と念じると、竜は十一面観世音菩薩に姿を変えました。
泰澄は、「これぞ、まことの白山の神様のお姿にちがいない、ありがたい」と伏して拝まれました。そして、目に焼き付けた十一面観音菩薩を木像にきざまれて、白山の頂上にお祀りしたということです。
翠ヶ池は、別の名を「仏ヶ池」とも言い、岐阜県の方では、この池の水を霊水として多くの人々が壷に入れて持ち帰り、利用していました。
http://www.shirayama.or.jp/legend/index.html
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