2012年8月12日日曜日

長良川うかいミュージアム

http://www.city.gifu.lg.jp/c/06080021/06080021.html

 長良川の鵜飼は古典漁法を今に伝える岐阜市の夏の風物詩。その歴史は古く、約1,300年前までさかのぼることができます。織田信長や徳川家康など時の権力者たちの保護を受け、俳聖・松尾芭蕉も「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という有名な一句を残しています。また、昭和11年と昭和36年の2度にわたり、チャップリンも見物のために来岐。鵜匠をアーティストと賞賛し「ワンダフル」を連発したといわれています。
    鵜飼は鵜匠が10~12羽の鵜を見事な手縄さばきで操り、鵜が次々に鮎を捕る日本の伝統漁法の1つ。毎日を鵜とともに暮らす鵜匠は代々世襲制で、常日頃から鵜と一緒に生活しているので、鵜匠と鵜は呼吸の合った動きを見せ、見事に鮎を捕らえてくるのです。暗闇に満ちた水面にかがり火を焚いた鵜舟がゆっくりと現れ、鵜が鮎を捕らえる様子を眺める事ができます。目の前で、勇壮な歴史絵巻が繰り広げられ、幽玄の世界へと誘います。


 御料鵜飼

岐阜県岐阜市ならびに関市の長良川河畔における鵜飼は、宮内庁式部職である鵜匠によって行われている。鵜匠は岐阜市長良に6人、関市小瀬に3人おり、これらは全て世襲制である。長良川の鵜飼では、1人の鵜匠が一度に12羽もの鵜を操りながら漁を行う。

もともと長良川の鵜飼はその起源を1300年ほど前までさかのぼることができ、江戸時代においては徳川幕府および尾張家の庇護のもとに行われていた。明治維新後は一時有栖川宮御用となるも、1890年に宮内省主猟寮属となり、長良川鵜飼は宮内省(現宮内庁)の直轄となった。すなわち、御料鵜飼とは皇室御用の鵜飼であり、狭義には毎年5月11日から10月15日まで行われる漁のうち特に宮内庁の御料場で行われる8回の漁を指す。御料鵜飼で獲れた鮎は皇居へ献上されるほか、明治神宮や伊勢神宮へも奉納される。

鵜を意味する英語の cormorant は、ラテン語の corvus marinus(「海のカラス」の意)に由来する。

漢字の「鵜」(テイ)は元々中国ではペリカンを意味し、「う」は国訓である。ウを意味する本来の漢字は「鸕」(ロ)である。

日本ではウミウ、カワウ、ヒメウ、チシマウガラスの4種が繁殖する。いずれも体色は黒褐色から黒色で、緑色あるいは藍色の光沢がある。

ウミウ(海鵜)
    全長約84cm。海岸に生息し、水面近くを飛行する。
    くちばしは鋭く、先が鉤状に曲がっており、魚を捕らえるのに適している。
    小枝や枯れ草を集めて岩場や断崖にコロニーをつくり営巣する。
    日本では捕獲・飼育されたものを鵜飼いに用いる。
カワウ(川鵜)
    全長約82cm。ウミウに似るがやや小形。河川部や湖沼に生息。
    数十から数百羽単位で行動し、小枝や羽毛などを集めて樹上に営巣する。
    中国での鵜飼いに使われる。
ヒメウ(姫鵜)
    全長約73cm。ウミウやカワウより小型。
    数羽単位で行動し、ウミウのコロニーに営巣することもある。
チシマウガラス(千島鵜鴉)
    全長約84cm[8]。主にアリューシャン列島などで繁殖するが、冬鳥として北海道・東北地方に飛来することがある。日本でもごく少数が北海道東部の島で繁殖する。


 
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