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2012年1月11日水曜日

菱葩(ひしはなびら)

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120107k0000e040153000c.html

 菱葩餅

菱葩餅(ひしはなびらもち)は、ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子である。通称花びら餅。平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年にわたり宮中のおせち料理の一つと考えられてきた。

歯固めの儀式では長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜などをのせて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中雑煮とよばれた)を、公家に配るようになった。さらには鮎はごぼうに、雑煮は餅と味噌餡でかたどったものとなった。

宮中に菓子を納めていた川端道喜が作っていた。明治時代に裏千家家元十一世玄々斎が初釜のときに使うことを許可され、新年のお菓子として使われるようになり、全国の和菓子屋でも作られるようになった。

当初はごぼうが2 本であったが、現在では1 本のものが主流である。

http://www1.doshisha.ac.jp/~prj-0604/pc/kawabata.html

粽屋の道喜は室町の末期から江戸時代ずっと、そして明治二年天皇が東京に移られるまで、三百年以上にわたって毎朝御所に天皇の食事を運んだ歴史があるのです。

いま川端道喜といっておりますが、川端を名乗ったのはじつは四代目で、それまでは渡辺道喜といっていたのです。渡辺という家は元は武士でずっと以前から続いておりますが、渡辺進が京都の南の方の鳥羽で餅屋を始めて、後に、御所の近くに移り商売を続けたわけです。渡辺進は同じ鳥羽村の中村五良左衛門を婿に迎えて、そしてこの五良左衛門が渡辺道喜を名乗ったのです。この初代道喜は千利休と同門で茶を学び、利休より少し年上だったようです。『利休百会記』という茶会記のなかには道喜を交えた茶会が二回ほどあらわれております。

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