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2010年9月7日火曜日

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)









高天彦神社パンフレット「高天彦神社」から

御祭神 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)(別名 高天彦神)
由 緒
本社は大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神、高皇産霊尊を奉斎する名社であります。
神話では天照大神の御子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、本社の御祭神の娘の栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)が嫁がれ、その間にお生れにになった瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原からこの国土に降臨されます。その天孫降臨にあたって、国つ神の征討に赴く武士の派遣から、天孫の降臨命令まで、すべて本社の御祭神がお世話申し上げたのであります。日本民族が太古から神々の住み給うところと信じていた 「 高天原 」 も、実は御祭神の鎮まるこの高天の台地であります。御本社の背後には美しい円錐状の御神体山が聳えていますが、社殿ができる以前は、この御神体山の聖林に御祭神を鎮め祀っていました。古杉の聳える参道は北窪・西窪の集落に通じていますが、そこがかっての葛城族の住地であります。彼らは背後にひろがる広大な台地を、神々のいますところと信じて 「 高天原 」 と呼び、その名称が神話として伝えられてきたのです。葛城族は弥生時代中期に、現在の御所市柏原の地に移って水稲農耕を始めました。そして葛城川流域の鴨族と手を結んで部族国家を形成しました。神武天皇が橿原宮で帝位につかれたというのも、この柏原の地であります。








参考資料
高天原史跡ガイド

御所市HP観光ガイド

万葉散歩フォトギャラリー

神社ふり~く

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