天羽槌雄命は、天太玉命に隷属せる天日鷲命の御子にして始めて麻を以て文布を織り給ふて機織の業に特に功を成し給へり。
和銅年間勸請延喜式所載の古社にして、貞観16年5月従五位下を授けられ、社殿の構造宏大にして一に山背郷社とも言へり。
花 山法皇北国下向の際、ここに参拝あらせられ神宝を寄進して厚く之を崇敬し、大聖寺藩主世々其祈願所となし給ひ山背郷民挙って、大神を渇仰せり。天文年間、 朝倉義景の兵火に罹り悉く鳥有に歸し、一時廃社とありしを明治八年七月再興し相殿に座す。菊理姫命御奉斎の白山神社と合併して、郷社に列し明治17年3月 7日懸社に昇格せらる。爾来氏子の崇敬の念は益々篤く旺盛である。平成3年11月山代日子命を増祀する。
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