仁徳天皇の時代、奈良別王が下野国造として下毛野国に赴任したとき、莵道稚郎子命の遺骸を奉じて当地に祀ったのに始まると伝える。その後、延暦年間(平安時代)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地に社殿を造営し遷座した。弘安年間(鎌倉時代)に配祭の五神が祀られた。
境内には、田村麻呂の手植えと伝えられるイチョウの木(推定樹齢1200年)が現存する。出産した女性が、乳の出が良くなるようにと願って、白布に米ぬかを入れて乳房を模したものをこのイチョウに奉納するという民間信仰がある。
五行の舞
太々神楽(だいだいかぐら)とは、野木神社の例祭に奉納される神楽のことで、町の無形文化財に指定されています。
12座あった舞のうち、翁の舞や天狗の舞など、11座のみが伝えられていました。しかし、100年ほど前から行なわれていなかった五行の舞が、小山市の神社で行なわれているものを基に、平成11年に復活奉納されるようになり、本来の12座が復活しました。
舞子は地元の小学生の女の子で、白い上衣に赤の袴、上に千早という被布を着て、頭には金に輝く冠をのせ、右手に幣束、左手に鈴を持ち、舞い踊ります。五行の舞の五行とは、5人の神をあらわしているといわれています。 野木町HPより
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