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右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。
(三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の奥様。事代主命
は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との 間の子供なので義理の母親にあたる)『出雲国風土
記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が
美保郷に坐すとの記述が ある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響に
より事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。
社紋「三の字」
「美保」は「三保」とも書くので社紋としている。
神紋
事代主神神紋「三巴」三穗津姫命神紋「渦雲」
美保関地区活性協議会HPより
「三穂津姫命(みほつひめのみこと)」と事代主神(ことしろぬしのかみ)。二柱のご祭神を祭る本殿
は、大社造りを左右2棟並立させ、 その間を装束の間でつなぎ、 木階を覆う向拝を 片流れに2棟通しで
つける という特殊な様式の「美保造り(みほづくり)」と呼ばれるもの。国の重要文化財に指定されて
います。向かって右手は、農業及び子孫繁栄の 守り神「三穂津姫命(みほつひめのみこと)」が鎮座す
る左殿。また向かって左手の右殿に鎮座する「事代主神」は、漁業・商業を始め、広く生業の守護神と
し て敬仰。一般的には「えびすさま」として有名で、この美保神社は、全国各地にあるえびす社3385
社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広 く敬い親しまれてきました。神社の歴史は古
く、奈良時代以前にはこの地にあったとされていますが、戦国の世の戦乱ですべてを焼失。現 在の本殿
は文化10年(1813)の造営で、拝殿は昭和3年に伊藤忠太の設計により建築されました。
地の御前・沖の御前
青石畳通り
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