蘇民将来符 その信仰と伝承
上田市マルチメディアセンター作成らしいですが、情報の宝庫です。これだけの歴史をまとめてら
れるのは、すばらしいと思います。興味 ある方は、一読の価値があると思います。
蛇足ですが、私、以前、上田市に、仕事で行ったことがありますが、いいところでしたよ。蕎麦が
おいし いお店がありました。
詳細HP
蘇民将来符 その信仰と伝承
八日堂の蘇民将来符
国分寺
信濃國分寺HPトップ via kwout
牛頭天王之祭文(ごずてんのうのさいもん)
素材(原木・原材料)と由来
剛卯(ごうぼう)と卯槌(うずち)
飯島花月氏はその著『花月随筆』の「蘇民将来考」の中で、太田蜀山人の『一話一言』にある「卯杖
〔うじょう〕などの遺製」とする考えを引用して、蘇 民将来符は魔除けである卯槌〔うずち〕や卯杖
の形をとって作られたとする。卯槌、卯杖は平安時代に宮中*3等で正月上卯の日の祝に邪気*4を払う
ために用いられた ものである。桃の材を使い1寸角で長さ3寸に作り、中心の軸に穴をあけて五色の組
糸を通し、下へ総〔ふさ〕のようにさげたものである。これは中国漢代の剛 卯〔ごうぼう〕を模した
ものとされる。この漢の剛卯は邪気を払い悪疫*5を退散させる意味があり、長さ3寸、径1寸程の大き
さである。円柱、四角、六角、八角 のものがあり、それに呪文の銘を入れ、中心の軸に紐〔ひも〕を
通し、正月卯の日に官吏*6が腰に吊り下げる習慣があったという。このため、この漢の剛卯が蘇民将
来符の原形で はないかとする説も現在考えられている。(蘇民将来符-その信仰と伝承HPより)
〔うじょう〕などの遺製」とする考えを引用して、蘇 民将来符は魔除けである卯槌〔うずち〕や卯杖
の形をとって作られたとする。卯槌、卯杖は平安時代に宮中*3等で正月上卯の日の祝に邪気*4を払う
ために用いられた ものである。桃の材を使い1寸角で長さ3寸に作り、中心の軸に穴をあけて五色の組
糸を通し、下へ総〔ふさ〕のようにさげたものである。これは中国漢代の剛 卯〔ごうぼう〕を模した
ものとされる。この漢の剛卯は邪気を払い悪疫*5を退散させる意味があり、長さ3寸、径1寸程の大き
さである。円柱、四角、六角、八角 のものがあり、それに呪文の銘を入れ、中心の軸に紐〔ひも〕を
通し、正月卯の日に官吏*6が腰に吊り下げる習慣があったという。このため、この漢の剛卯が蘇民将
来符の原形で はないかとする説も現在考えられている。(蘇民将来符-その信仰と伝承HPより)
牛頭天王之祭文(ごずてんのうのさいもん)
牛頭天王とはインドの祇園精舎の守護神のことです。牛頭天王之祭文には、蘇民信仰の起源が祭文の
形式で述べられており、その内容から遅くとも室町時代後期 には八日堂縁日において、蘇民将来符が
頒布されていたと推測されています。京都市醍醐寺所蔵(文明17年書写)、宮地直一氏所蔵(天文19
年書写)、東京 大学文学部所蔵の京都市長福寺文書などが知られていますが、信濃国分寺の祭文(文
明12年書写)が時期の判明したものでは日本最古であり、平成7年12月 に上田市文化財に指定されま
した。
形式で述べられており、その内容から遅くとも室町時代後期 には八日堂縁日において、蘇民将来符が
頒布されていたと推測されています。京都市醍醐寺所蔵(文明17年書写)、宮地直一氏所蔵(天文19
年書写)、東京 大学文学部所蔵の京都市長福寺文書などが知られていますが、信濃国分寺の祭文(文
明12年書写)が時期の判明したものでは日本最古であり、平成7年12月 に上田市文化財に指定されま
した。
雑感
上記にあるように、他にも資料はあるようですね。貴重なものなのでしょうね。
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